ここ一週間ふわふわ目眩が治らない。雲の上を歩いているようでノイローゼになりそうだ。原因はハッキリしている。極度の精神的負荷が掛かったからだ。まだ普通の人と同じように振舞うのは早過ぎたという事だろう。兎に角リラックス・・・、リラックス・・・。

Chromeブラウザには Personal Blocklist (by Google) という、検索結果から見たくないサイトを除外する拡張機能がある。fc2.comや2ch.netを指定すると、幾らかネットが平和になる。

Googleは過去に、ユーザー自身の検索結果に『表示させたくないサイト』を指定できる様なブラックリスト機能を実装した事があるらしい。しかし現在その機能は停止されている。私は、この機能の復活を切に望む。

『ノラガミ』13巻を読んだ。ひよりの平和な生活があっという間に崩れ去る展開に、私は戦慄した。父様怖え〜。神様怖え〜。

福沢諭吉の『学問のすゝめ』は今の時代に読んでも名著である。さすがは一万円札の人だ。 昔の言葉で書かれているから読み辛いのが難だが、今は現代語訳も出ているのでハードルは低くなった。書かれた当時の事をイメージ出来るだけの知識を持ち合わせていないと退屈に感じるかもしれない。でも名著!

お札の絵柄を決めるのって何か基準があるのだろうか。日本にとって福沢諭吉以上に重要だった人はいくらでも居るのに。極端な話、信長・秀吉・家康ではダメなのかな。もし私が自由に決めて良いのなら、ピカチュウ・カービィ・マリオにしたい。クールジャパン推進などを口実にしよう。二千円札は未定。

今、新しい法律ができた効果で障害者の雇用率がアップしている。中でも精神障害者の雇用率が激増しているという大変嬉しいニュースを最近聞いた。だが私はこの恩恵を受けられない。根が深すぎる。病状が安定しているとはいえ、17年にも及ぶ闘病人生を歩んだ人間を雇うのは、企業も相当勇気が要る筈。

Appleサポートコミュニティのアカウントを新しく作った。そこでの活動をライフワークにしたい。私のコンピュータスキルがどこまで通用するか勝負だ。ただ、生活費もロクに無いのにお金にならない事に人生をかけてしまって良いものかどうか悩む。かと言って病気の身の上では他に出来る事など無い。

ウェブ開発環境を揃えたらそれだけで疲れてしまった。サイト作りはまたの機会にしよう。サーバーはシャットダウンしておけばお金はかからないし、またいつでも好きな時に起動して作業を再開する事ができる。クラウドって便利だ。レンタルサーバーを契約していた頃は、何かと不便な思いをしたものだ。

ホームページを作ろうと思ったが、手元にはChromebookしかない。これでどうにかGoogle Web Designerを動かせないものか考えた結果、クラウド上のサーバーをChrome Remote Desktop経由で使う事にした。レスポンスは悪いが意外と使える。

Azure上のサーバーはWindows Server 2012(英語版)でまっさらな状態。そこをGoogle日本語入力やChromeブラウザ、先述のChrome Remote DesktopやGoogle Web Designerなどで整える。Google製品のオンパレードだ。

面倒くせぇから別アカ作るか。Appleがコミュニティの根幹に関わる部分を変更する訳はないし、いつ改善するかも未知数だし。諦めてさっさと別アカ作った方が、ただ待っているだけよりは建設的かもしれない。

私は今後をどう生きたらよいか考えあぐねている。よくこれだけの長期間に渡って病気と相対したものだ。自分を褒めてやりたい。病気も良くなり、後は余生をどう過ごすかの問題だ。まだ三十歳なので余生という言い方は語弊があるかもしれないが、私が失った時間と、多くの可能性は、もう取り戻せない。

障害者としての余生。私に何が出来るだろうか。私の人生はAppleと共にあったから何かAppleに関する事をライフワークにしたい。ここはひとつAppleサポートコミュニティの回答メンバーの一員になる事に、私の人生を捧げてみるのも面白いかもしれない。ハンドルネームさえ変えられれば。

Appleのサポートコミュニティでユーザー名を変更できないのは困る。今日、数年ぶりにログインしたら大昔に使っていた中二病丸出しのハンドルネームが表示されて閉口した。アカウントの閉鎖も出来ない仕様で手の打ち様が無い。あの間抜けなハンドルは永久にネットに残るのか?? 恥ずかし過ぎる。

深夜、徒歩での大冒険!

2015年4月24日、私は酷いストレスに悩まされていた。世間では皆、焼肉食って合コンやって酒飲んで、楽しく愉快に人生を謳歌しているというのに、私は現状、家で病状をコントロールする事に専念するしかない。病人としての人生は完全に行き詰まっており、自分の人生に対して『満たされない思い』が募り、私のもやもや感は遂に限界に達した。

夜の九時。私は居てもたっても居られなくなり、iPhoneと財布と鍵だけを持ち、着るものも着ないで家を飛び出した。まず上之島神社にお参りをし、神様に「ちょっと修行に行ってきます。」とだけ伝え、怒りに任せて大通り沿いを歩き出した。

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夜中に街を彷徨って思ったのは、日本は治安が非常に良いという事だ。コンビニに屯している非行少年達でさえ非常に楽しそうだ。変な話だが、まだ十代やそこらの非行少年達が夜中に安心して街を徘徊できるのは、ひとえに日本の治安が良いからなのではなかろうか。良き治安が不良を育てているとも言える。