病気の症状が収まってきた私は働きに出るべきだろうか。このまま家に居てもいいのだろうか。このページではそんな話を書いていきたいと思う。これは統合失調症の話なので、あまり面白いものではないという事をあらかじめ断っておきたい。
統合失調症での闘病生活は大きく3つの段階に分ける事ができる。一つ目は『前駆期』で、これは発症する前兆現象がある期間を指す。この時期は、抑うつ気分、集中困難、易疲労性、睡眠障害などの症状が本人を襲い、周囲の人から見れば段々とその人の正気が失われてきている事が分かる時期である。
2つ目は『急性期』で、これは病気が発症し、幻覚・幻聴・妄想といった陽性症状が燃え上がっている時期を指す。統合失調症の人に対する世間のステレオタイプなイメージは、主にこの時期の患者をイメージしての事だと思われる。この時期はとても苦しい時期であり、本人も周りの人も疲れ切ってしまうのが常である。もちろん陽性症状が出ている以上は、その人を一刻も早く医療に繋げてあげる必要があるだろう。だがそれは口で言うのと実際にやるのとでは大違いで、大変な困難を伴う。ここはまさに踏ん張り時だ。
そんな急性期の症状が収まると、その後は慢性期に入ってくる。これはだんだんと病気から回復していく時期となる。この慢性期の状態というのは本当に人それぞれであり、完全寛解している人もいれば、部分寛解で留まっている人もいるし、その他に陰性症状がそれなりに残っている人や、陽性症状がごく軽微な状態で残存している人などもいる。
統合失調症は慢性疾患なので、病状が回復してきても『治った!』という表現を使う事はない。その状態はあくまで『寛解』という言葉で表現されるもので、再発のリスクは常に残っているものとして備えておかなければならない。
この時期(慢性期)の精神病者は社会的に微妙な立ち位置となる。というのも、病気の症状は収まっているのに、再発のリスクを考慮すると積極的に働きに出る訳にもいかず、その結果、家にいるかデイケアに行くかしか選択肢がないという状態に置かれてしまうからだ。その一方で国からは『就労しろ!』『その為に就労移行支援事業に参加しろ!』というような無言の圧力がかかってくるし、親類からも「アルバイトぐらいしろよな!」などと促されるようになってくる。それはパッと見ただけでは精神病だと分からないくらいにまで病気が回復してきたからこそ起こる微妙な立ち位置なのである。
ここまで書いてきた統合失調症患者の3つの段階だが、私もこの病気の当事者として、このような段階を経て今の生活に至っている。今の私を悩ますのもやはり『働くべきかどうか』という就労に関する事だ。しかし現状でそれは難しいという事を私は分かっている。ここで私は統合失調症患者にとって『病気の再発がなによりも恐ろしい事なのだ』という事実が世間の人たちにあまり伝わってないという事を特に厄介に感じている。実際問題として再発のリスクを知らずに就労だの社会参加だのを語る事は出来ないからだ。
実はこの病気には『統合失調症は再発すると前よりも悪い状態になる』という法則が存在する。したがって統合失調症は『症状の再燃・再発を繰り返すと最終的には廃人のようになってしまう(人格荒廃)』という最悪の結末が有り得る病気なのである。その事は決して忘れてはならない。
私はそんなふうには絶対になりたくないと思っている。だから就労は慎重にならざる得ない。しかし働いてないという事への世間の風当たりは強く、まるで私を怠け者かのように思っている人すらいる。
社会一般的には、働くという行為は肯定的に捉えられる。それは、労働力を提供し、その対価を受け取り、それで生活を作り、家族を作る、という事が前提となっているからだ。働いた分だけ良い暮らしになり、良い人生を送れるというならば、それはもちろん働いた方が良いだろう。
しかし精神病者にとっては違う。障害者は労働力を提供しても障害者雇用での最低賃金しか貰えず、職場で差別も受けるし、精神的にも肉体的にも疲労は溜まり続け、そしてその結果からくる病気再発と、それを繰り返す事で人格荒廃に繋がって行く未来があり得る。つまり精神病者にとって就労という行為はプラスの結果が得られる行為ではない。こんな絶望的な見通しで就労など出来ようか。自分が廃人になると分かっているのにそれでも働こうとする人などいないだろう。
こうみていくと健常者と精神病者では生きていくための基本原理が根本的に違うという事が分かってもらえると思う。
このような統合失調症患者の抱える事情を、世間の人たちはどう捉えるだろうか。
前駆期 → 急性期 → 慢性期 → 就労 → 再発 → 急性期 → 慢性期 → 就労 → 再発 → 以降繰り返し・・・
上記のように急性期、慢性期、就労、再発を繰り返し続け、その先に人格荒廃が待っているなんて話は、ちょっとにわかには受け入れられない話なのではないかと思う。しかし、これは私のような精神病者に突きつけられた紛れもないリアル(現実)である。それが人々にまるで知られていないのは残念だ。
結局この問題には『こうしたらいい!』というような答えが存在しない。だから私はそれを自分の人生をかけて導き出していこうとしている。私にどのような道が残されているのか、私は今後も模索し続けていく事になるだろう。
取り留めのない文章になってしまったが、ここまで読んでくれてありがとう。今回はこの辺で…