古本は良い。100円や200円といった少額で買う事ができるし、古本屋へ行けば在庫は常に潤沢であり、選び放題ときている。古本集めというのは、私の物欲や購買欲、知識欲、果てはコンプ欲などといったものを、お金をかけずに満たす事ができる事から、私にとってはまさに願ったり叶ったりの趣味なのだという事が出来るであろう。
私のようにメンタルをやられた人間にとって、古本は良き友である。
というのも私のような闘病生活を送っていると、会社に行くでもなし、学校へ行くでもなし、人と会って話をする訳でもない、というのが日常になってくる。これはいわゆる『社会的孤立』というやつで、かなり気が滅入ってくる状態だ。私にだって社会へ出たいという欲求はあるが、体調がその欲求に応えてくれないし、そのような状態の人は地域社会にとっても受け入れづらいというのが現状である。結局、病人は家に引きこもっている以外に、どうする事もできないのである。
でも、そんな暮らしの中で一筋の光となるのが古本である。
私にとって古本は、単純な娯楽という訳でも、暇つぶしに読んでいるという訳でもない。冒頭にも書いた通り『欲を満たす行為である』というところが、私にとっては重要になってくる。
当たり前の事だが、病人は働いていないので自由に使えるお金が限られる。そういう生活の中では、主体的な行動は減ってゆき、だんだんと受け身の生活になってくる。助けられる側としての振る舞いが日常になってきてしまうのだ。でもそれはつまりだんだんと感覚が麻痺ってきているという事でもある。人は、自分の中に何らかの欲求があって、それを満たすために相応の行動を主体的に起こす、そういう生き物だ。そんなごく当たり前の事がいつの間にかできなくなってしまっていたら、それはまずい状態だ。
そんな中でも出来る事はある。私の場合は古本集めがそうだった。古本集めは、選んで、買って、集めて、読んで、場合によってはまた売る、というとても主体的な活動を可能にしてくれる。これはメンヘラである私にとって、少額のコストで出来る、数少ない主体的活動のうちの一つなのである。
中古本を漁る時に楽しいのは『漫画』と『新書』というジャンルである。この2つをあげるのには値段が安いという理由も勿論あるのだが、本当に嬉しいのはその作品数の多さである。とても読みきれないような膨大な作品たちが古書店の本棚でひしめき合っている光景というのは、なかなかに壮観なものである。で、私はその棚の中から1冊を選んで、買って帰ってくるという訳だ。これは楽しい。一度ハマると病み付きになるほどに楽しい。
中古の漫画本には『子供の頃欲しかったけどお小遣いが無くて諦めたモノ』だったり『欲しかったのにモタモタしていたらいつの間にか絶版になってしまっていたモノ』などとの出会いもある。そういう作品と巡り合った時は運命を感じたりする。
また、子供の頃に読んでいた本を大人になってから買い直して読んでみるというのも、私はオススメしたい。私は『長い闘病生活の中でいつの間にかどこかに置き去りにしてきてしまった記憶』みたいなヤツを、昔の本から取り戻したという経験がある。それはかなり感動的な体験であり、情緒的な気持ちになったりしたので、これは病気回復の上で役に立つ、一つの有効なアプローチなのではないかと思ったりした。
ここまでアブストラクトに書いてきたが、正直なところこれをどうまとめたらいいのか分からなくなってしまい、私は困っている。とにかく私が伝えたかったのは、メンヘラと古本の相性が良いという事だ。それは知的な活動としても、情緒的な活動として見ても、という意味でである。古本は、誰も傷つけないし、私たちを癒してくれる存在だ。中古だという理由だけで嫌厭せず、積極的に活用してもらいたいと思う。