統合失調症患者が陥りがちなおきまりのパターンとでも呼ぶべき妄想がある。それは『精神科医は利益を得るために健康な人を薬漬けにし病院へ送り込む』というようなことだ。
これは典型的な妄想(被害妄想・誇大妄想)で、『そもそも自分は病気ではない』といった病識の無さから来るものだ。病識の重要性は以前も述べた通りだが、繰り返しになるがやはり病識を獲得するのは並大抵のことではない、大変難しいものだということが分かるであろう。
病識を得るには時に今までの自分を否定し、大切なものを諦めたり放棄したりしなくてはならない。これが当人にはとても辛い事なのだ。
先述の典型的な妄想は、現状があまりにもひどく、そこから逃れたい一心で出てくる心の叫びのようなものだ。精神的に不安定なことを自分が服薬している薬のせいにし、飲むのをやめてしまう。
また薬をやめると一時的に調子が良くなったような気になるのも話をややこしくする。薬をやめると、薬で抑えられていた喜怒哀楽の感情がリアルに蘇り、やっぱり薬のせいだったんだと思うことがある。しかしここが落とし穴だ。そのリアルな喜怒哀楽は、本来の人間の喜怒哀楽ではない。病的な悪い補正がかかっていることを理解しなくてはいけない。
思うに芸術家におかしい人が多いのは、この病的な補正がかかった喜怒哀楽を芸術作品としてアウトプットしているからだろう。喜びも悲しみも現実世界のものとは違いオーバーである。それが作品に力を与え、命を吹き込んでいる。
それから、医者をあまり疑わないほうがいい。医者はプロフェッショナルであり、科学者が科学的思考を自らの拠り所にしているのと同じく、医者は医学的思考を自らの拠り所にしている。医者が出す薬、医者が話す言葉、これらは現在の患者に必要だとの判断から出てくるもので、蔑ろにしてはいけない。
また医者は患者を薬漬けになどしようとは思っていない。医者には医者の世界があり、その繋がりの中で医療を提供している。ヘタなことをすれば医療業界から弾かれてしまう。人を助けようという仕事だ。医者はみんないい奴だ。
しかし医者とのトラブルも確かに起きる。最も多いパターンは医者にとっての常識から外れることを患者が要求した場合だ。精神科を受診する病人は考えることがメチャクチャな場合も多くトラブルも起きやすい。また庶民の常識と医者にとっての常識に大きな開きがあることも問題である。
あともう一つ。精神科医の診察は悩み相談室とは違う。医者は友人としてではなく治療者として医療を施そうとしている。なので治療に関わることや、病状の判断材料になることなど、なるだけ建設的かつ客観的な話を交わすべきである。
最後にこれを読んでいるまだ医者へ行っていない人へ一言。病院へ行ったからといって、すぐに入院させられるということはまずない。現在の精神科医療は在宅医療が主流で、患者が地域の中で暮らしていくことを目指した医療が提供されている。そもそも精神科のベット数を先進諸国並みに減らそうということが国策として進行している現在、むやみやたらと入院させようという医者はいない。
どうしても不安なら、地域の小さなメンタルクリニックなどを受診すると良い。当たり前だが開業医の所に入院設備はない。受診して不安を感じたらそこはやめて他を当たればよい。ただし、自傷行為や自殺企図があまりに激しい場合はこの限りではない。しかし医者にもいろいろ制度があり、入院を強制できる資格のある医者というのは限られている事を知ってほしい。これなら安心であろう。
このブログにたどり着いた人で、精神医療と全く無関係といったことは少ないだろうと思う。仮に無関係だったとしても今回書いた内容は知っていて無駄にはなるまい。一人でも二人でもこの情報が役立ったならば、私も書いた甲斐があったというものだ。