パソコンをやめる そしてiPadへ完全移行

以前の宣言通り、私はパソコンをやめてiPadへ完全移行した。情報学者の夢は無残に敗れ、Web開発もしないならもはやパソコンなんて要らない。iPadで全ての用事が事足りる。

しかし私にとってパソコン、特にMacは人生そのものだった。精神病だと分かる前、夜学の高校に通ったり、また引きこもりとして暮らしていた頃からの付き合いだ。パソコンは私の生活の中心だった。それをやめるのは辛い。

私はアイデアマンである。色々なことを思いつくし、試したくなる。それが行き過ぎ、妄想という病気の域にいくこともしばしばある。だがパソコンをやめてみて分かったのは、最近の私のアイデアの多くはパソコンを活用することが前提になっていたことだ。頭が完全にパソコン中心になっていた。

そんな人間からパソコンを取ってしまうと、別段良いアイデアも浮かばなくなった。また浮かんだとしても、やっぱりパソコン絡みの事であり、それを試すためにパソコンをやらずにはいられない欲求と戦う羽目になる。終いには新しいパソコンが欲しくなる。もはや依存症の様相を呈していた。こう考えてみると、自分がアイデアマンだと思っていたこと自体がすでに妄想だったかのように思えてくる。

だが私がアイデアマンなのは病気を発症する以前、小学校の時からなので、アイデアマンである事に間違いはない。ただあまりに長期間パソコン中心の生活を送っていたため、思考回路がパソコン中心に偏ってしまっただけの事だ。パソコンがなくなった今、私の中の偏りは解消され、正常なアイデアマンに戻るだろうと思う。

実はどうしてもパソコンが必要になった時のための抜け道が存在する。それはクラウドサービスの活用で、データセンターのコンピュータ資源をiPadからリモート操作するという方法だ。この手法で、モナーコインを採掘したり艦これをプレイしたり出来てしまう。この誘惑を断ち切るのに大変な苦労を要した。

話は変わるが、iTunesに入っている音楽や映像の問題もあった。iPadに同期するにはどうしても母艦が必要だ。そこは弟が協力してくれた。弟のiMacに私のMacアカウントをまるごと移してもらったのだ。要らないデータを削除したり、オンラインストレージにアップしたりで、削りに削って100GBほどがもしもの時の為に弟のパソコンに保存されている。弟には感謝である。

ただし弟のパソコンを使う時は許可が必要で、基本無い物として考えるよう取り決めがなされている。

パソコンがなくなってもiPadがあればなんとかなるものだ。オンラインバンキングやネットショップは問題ないし、このブログもiPadアプリで書いている。株取引すらも出来てしまう。パソコンがなくてもネットは出来る時代だ。インターネットを使いこなせるのが私の強みだし、パソコン中心の生活で得たものは今も生きている。

以前のようなパソコンの前にへばりくっついている生活から脱出することが出来たのだから、作戦は成功したと言って良い。今、私のパソコン(Mac mini)は引き出しにしまってある。デスクトップなのに引き出しに入ってしまうとはなんとラブリーなパソコンであろう。あとはMacの新製品を買いたくなる欲求に負けないように用心していればOKだ。

追記:パソコンがなくなった分、一日中iPadを持ち歩くような生活になった。本末転倒か。