本物のヒトとは老人の事かもしれない

私達は本当に人なのか。実は『ヒトのようでヒトでないモノ』ではないのか。どうにもそう思われる。今までの記憶を探っても、おおよそ人らしい人に出会った記憶が無いことに気付く。世界を埋め尽くす『ヒトのようでヒトでないモノ』を、私は『ヒト=モドキ』と名付けることにする。

まず私を悩ましたのは『女は人であるか』と言う問いだ。安心してほしい。ここで話したいのは男尊女卑などの問題などではない。

この困った人種は様々な問題の種で、全ての男は女によって迷い、悩み、振り回される。それは相手が恋人でも家族でも他人でもそうだ。今更具体例を挙げる必要すらない。よって女は人ではないと判断する。

では『男は人であるか』と言う問いも自然に出てくる。男という人種もやはり傲慢であり、虚栄心しかなく始末が悪い。社会を動かすべき人種でありながら、自分では何も問題を解決できない。身近な男を例に考えてみてほしい。そいつには何か一つでもやり遂げたと言えるモノがあるだろうか。よって男は人ではないと判断する。

続いて『子供は人であるか』という問いが出る。子供という人種が人ではないことは誰でも分かる。子供の頭は空っぽで、物事が何も分からない。よって子供は人ではないと判断する。

だがただ一点だけ、男にも女にも無いモノを子供は持っている。それは好きか嫌いかを判断する能力でだ。男も女も、自分の仕事でさえ好きなのか嫌いなのかをよく分かっていない。しかし子供は学校の勉強が嫌いだと迷わず答えることが出来る。その意味において子供は男や女よりいくらか人に近い。

だが私にとっては、男も女も子供も人ではない。『ヒト=モドキ』である。では本当の人はどこに居るのだ。冒頭で私は人に会った記憶がないと言ったが、一人だけ心当たりがある事を思い出した。

その人は私の祖父で、いくつもの警察署の署長を歴任した人物だ。祖母が不治の病に陥った時、仕事一辺倒だった祖父はそれまでとはがらりと変わり、病院探しや介護を献身的に行ったと聞く。そしてそれは十年を超える長期間の闘病生活の後、祖母が息を引き取るその日まで続いたようだ。

しかし祖父の人としての行動はまだ続く。祖母の死後数年で、今度は孫の私が精神病になった。祖父はそんな私を誰よりも強力にサポートしてくれた。私の病気も十年以上続き、祖父は以前の様な元気な私の姿を見ることなく亡くなってしまった。

ヒト=モドキのうごめくこの世界で、私にとってたった一人祖父だけが人だった。祖父は傲慢ではなかった。虚栄心もない。モノの善し悪しもしっかり持っていた。本当のヒトとは、男でも女でも子供でもなく、もしかしたら『老人』なのではないだろうか。