人が何かを見たとき、それが何であるかを認識すための順序というものがあるようだ。これを仮に識別順序と呼ぶことにする。
人は何十何百の評価を瞬時にこなし、相手が何であるかを判断する。その評価の結果、相手が敵か味方かを判断している。判断のための優先順位が上位であるほど、その要素は重視される。優先順位が下位の項目で良い判断が多く出ても、上位のたったひとつの判断に勝てないこともある。これらの人に内蔵されているプログラムを意識すると、差別の問題に直結していることがよく分かる。以下解説を行う。
最初に『自分より大きいか』の判断では、まだ相手が人なのか動物なのか虫なのかは判断できない。単純に自分より大きな生き物に出会ったら、非力な人間では対処できないことが多いので、とりあえず警戒する。自分より小さかったり、同じぐらいの大きさだったら、次に判断を持ち越す。
二番目に『人の形をしているか』で、とりあえず大雑把ではあるが、人かどうかを判断する。しかしまだ相手が生きている人間なのか、死体なのか、またはアニメのキャラクターなのか人形なのか分からない。人の形をしていれば、とりあえず人間の基準で相手を判断してもよいだろうと考えるのである。
三番目に、相手が『自分と同性かどうか』で、大まかな力関係を把握する。同性なら力が対等である可能性が高い。異性なら、力に上下関係があるだろうと判断する。ここで一番目の大きさの評価も参照する。男同士で相手のほうが大きかったら、とりあえず警戒する。
四番目に『同じ色かどうか』では、肌の色や衣服の色を判断する。肌の色で、人種を予測し、また健康体であるかどうかも判断する。衣服の色では主に文化的な予測を立てるのに役立つ。相手が同じ文化圏の人か、異文化の人かを判断する。
差別の問題は、これら何百もある識別項目の上位、ほんの数個に引っかかるものが多い。手や足を切断された身体障害者の人を見ると、『人の形をしているか』の段階で早くも頭はエラーを出す。頭はこの項目を判断できない。大まかには人の形をしているようだが足が無い、だから分からない。分からないからとりあえず警戒する。つまり相手の人間性を評価するのはもっと下位の項目なので、それ以前のごく初期段階で相手には警戒されてしまうのだ。これが差別を説明する単純な解である。
『相手が同性かどうか』でエラーが起きる場合もある。それは性同一性障害者が男女どちらの要素にも取れるメイクや服を着ていたとき、またはそのような振舞いをしていた時だ。脳のエラーによりここでも、『分からない』『わからないから警戒せよ』と繋がってしまうのである。この場合の警戒は、相手が男女どちらかの服装や振舞いを嘘にでもしていてくれたら回避できる可能性がある。
『相手が同性かどうか』の項目では、『自分より大きいか』の情報と関連が出てくる。ここで男女の力関係を大まかに把握するため、男尊女卑の差別を生むことになる。男と男、男と女、女と女の組み合わせの中では、男は常に女より有利な存在となる。その為、文化を形成する過程で自然に男は男のように振舞い女は女のように振舞うようにならざる得なかったのだと思われる。
『同じ色かどうか』の肌の色の項目は最も分かりやすい差別へと繋がっている。言うまでもなく人種差別の事だ。さらにこの項目では相手が健康体であるかどうかも判断するのだが、肌の色が違うと、単純に健康体かどうかの見分けが付きづらい。また衣服の色で同じ文化圏かどうかの判断もすることになるのだが、異国の服を着ていた場合、肌の色とのダブルパンチで脳はエラーを起こす。これが人種差別の根本的理由である。
『人の形をしているか』の項で興味深いのが、それが人間に対してだけでなく、人形やアニメのキャラクターを含むことである。この項目で脳にエラーが出なかった場合、人形やキャラクターに警戒心は起こらず自然に受け入れられる。日本のオタクアニメの多くは目が極端にはっきり描かれ、髪の色も様々な色があり、服装などもそうだが全体的に現実離れしている。しかし二番目という最優先事項の「人の形をしているか」を満たしているため、警戒されることはない。人間の認識の隙間を上手く突いているのがアニメなのだ。
似た様な話は他にもある。ヒューマノイドを作る研究をしている研究者が居るが、やはり人工的には完全な人間の外観を作る事が難しいらしく、出来上がったロボットを見ると気持ち悪いものばかりである。これは研究者の間では『不気味の谷』と呼ばれている。
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この識別順序は下位に行くほど詳細になっていく。大まかな認識から始まりだんだん詳細に認識されていく工程なのである。人は賢くなるほど認識項目が下位にどんどん追加されていく。人には一体いくつの認識項目があるのかは、詳細な研究をしてみないと詳しくはわからないであろう。
しかし差別について一つ解決策を提示することが出来る。認識順序上位の項目でエラーが起きると、力の弱い下位の項目でいくら良い結果が出ても覆すのは難しい。ただ、難しいだけで出来ないわけではない。人を詳細に判断する賢さや教養を増やしていく、つまり下位の項目を充実させれば、差別の元になる上位のエラーを覆す事が可能だ。差別の問題に取り組んでいる現場のプロフェッショナルな人達はこれが出来ているおかげで、自らは差別という間違いをする事はない。
つまり差別を克服するためには、ある程度の賢さや教養が必要だと言える。しかしそれをすべての人に課すことは難しい。そこでこのエントリーの出番だ。この文章が伝えた脳の仕組みを理解すれば、『簡易的』ではあるが何かと役に立つだろうと思う。