富・名声・力の三点すべてを手に入れることは不可能である。これは私独自の世界認識ではあるが今のところこれを否定する根拠を私は知らない。ただし二つまでなら可能だ。
『富と名声』を手に入れた人物として最も想像しやすいのは芸能人である。芸能人の名は国中に知れ渡り、ギャラとして莫大な富を手に入れる。しかしその二点を手に入れた代償で三点目の力を手に入れることはできない。
芸能人が自衛隊を動かすことはないし、また政治の世界で大成することもない。芸能人がその知名度を利用して政界に進出することがあるが、大抵の場合ほぼ無力に等しい。
また力があるような錯覚をして「俺はビックだ!」発言をして干された有名人も、あえて名前は言わないが皆が記憶している事だろう。彼はその錯覚により手に入れたはずの名声をも失ってしまった。
『富と力』を手に入れた人物として想像しやすいのは経済界の社長や会長たちである。彼らは莫大な富を築き、更には経済界で絶大な権力を握る。この資本主義の世において、経済界での権力の意義は政界のそれとほぼ同義である。
しかし彼らはそれらの代償として名声を得ることができなくなった。 社長自らが出演したCMを見たとき我々が感じる違和感はこの為である。彼らには人々を共感させる能力がない。富と力を手に入れてしまった人に対しては、人はマイナスのイメージの方が強く出る。権力とカネに汚れてしまったような感じがして、親しみが持てないのだ。
『名声と力』を手に入れた人物を最後に考えてみよう。これは政治家が分かりやすい。選挙で選ばれたという名声と、政界で力を発揮できる立場がある。だがこの代償として富を得ることができなくなった。
これは意外かもしれないが、単純にカネにまみれた政治家像を想像してほしい。名声と力というコンビを維持するのには、無限とも言えるほど膨大なカネがいる。富は溜め込むことはできず、絶えず消費し続ける。彼らはその名声と力にものを言わせ、あちこちから取引によりカネを調達する。
しかしそれは実際にその人が得た利益ではなく、他へ回さなければいけない言わば見せかけの金なのである。その見せかけの金をより多く調達することに躍起になり、果てはその金は自分の金であるような錯覚を起こす。
自己顕示欲を満たす為に突き進み、富・名声・力のすべてを得たような気になると、あとは破滅するしかない。政治と金の黒い繋がりというものは、本来手に入れることはできない三点すべてを手に入れようと躍起になる、強欲な人間の性が引き起こしている問題なのだ。
人は富・名声・力のすべてを手に入れることはできない。それは運命論的な曖昧なものではなく、おそらく物理学的な、または生物学的な限界や制約が存在するからだ。誰か科学的に解明してくれないだろうか。
富・名声・力の内、二点を手に入れたらそこで良しとすべきである。その二つの特性を使って、今出来る事を成すべきだ。もし可能なら世の中の解決を待っている問題に手当り次第に取り組んで欲しい。しかし二つを手に入れたら、三つ目が欲しくなるのも人の性というものだ。
では三つ目を手に入れるためにはどうしたら良いのか。答えは現在すでに出ていてよく知られている。それは自分に足りない特性を持っている他者と協力することだ。財界が政界と太いコネクションを持っているように、または芸能人が利益を得るためには経済界が切っても切り離せないように、異質な者との協力関係を得ることでしかこれは解決できない。この協力を拒んでワンマン経営をしたとしても、独裁者になったとしても、結局はうまくいかない。
注意すべきは協力者の特性を自分の特性と勘違いしないこと。自分が三つ目の特性を獲得したと思い違いをしてはいけない。それはあくまで協力者である他人の特性なのだから。