断捨離 寝室になぜ会議テーブルが2つも?

今年の大きな目標の一つに断捨離をするということを掲げた。それは以前のエントリーで宣言した通りだ。今年も半分が終わったが、断捨離の進捗状況は良好だ。

以前の私の部屋は常軌を逸していた。六畳強の部屋を間仕切りで二つに分け、片方は寝る場所で、もう片方が日常的に過ごす場所だった。この狭い部屋には、なんと学校や会社で使うような会議テーブルが二つもあり、それが広大な作業スペースを作っていた。もちろん上にはパソコンが乗っかっており、シンプルかつ効率的な空間で私は多くの時間を過ごしていた。

この部屋に至る過程を語るにはもう少し時間を遡る必要がある。この家に引っ越す以前は、いわゆる狭小住宅に住んでいた為リビングもなく、当時引きこもり生活をしていた私には四畳半の部屋が世界の全てであった。大きなテーブルや作業スペースを切望していたので、今の会議テーブルなどの部屋が構築されたのはその反動である。

さらにまずかったのは、以前にも書いた通り父の家に一時的に住んでいた時期があり、そこを行ったり来たりする生活が数年続いたことだ。その間、不安定な生活環境が続き、自分の絶対的な空間を欲するようになった。

今まで多くの環境要因や病気の制約から不自由をしたが、ついに自分の空間を手に入れて今日がある訳だ。だが冷静かつ現実的に自分の身辺を見渡した時、私の身辺は物で溢れかえり、日常生活や病気回復に多大な悪影響を及ぼしていた。故に今回の断捨離は重要であった。

断捨離後、現在の我が部屋には、もう間仕切りも会議テーブルも無い。ベッドもなくなった。テレビも無くなった。そしてとうとうパソコンもなくなった。パソコンをやめるにあたっては色々な難関があったが、それはまた別の機会に書こう。

現在部屋にあるのは一人掛けのソファーとプラスチック製の極ありふれた収納と布団ぐらいだ。ベッド無き後は普通の布団で寝ている。以前のオンボロベッドに比べれば実に快適だ。腰も痛くならないし、ベッドから転げ落ちる心配もない。何より部屋を圧迫していた大きな存在が無くなったのは良いことだ。

まだ若干捨てる物は残っているものの、断捨離は大成功した。あまりに大きな変化だ。だが家族からの評価は良く無い。「なんだか貧乏な人の部屋みたい」と言われてしまった。そうだろうとも。私の断捨離は巷で流行っているお洒落な断捨離ではない。

そもそも断捨離を思い立ったのは、私が精神障害者であり病気であったが為、日常で複雑な生活をこなすだけのエネルギーが無く、それの解決策として身辺を単純明快にしようと思ったからだ。おじいちゃんからの『治道尚玄黙』の教えもある。

『治道尚玄黙』については面白い偶然もあった。我が地元の大国魂神社でおみくじを引いたら、言葉こそ違うものの、その意味するところが全く同一の内容のクジを引き当てた。例え私の断捨離を誰も評価してくれなかったとしても、やっていることに間違いはなかったんだと私は少し安心した。

やはり断捨離はやってよかったと思う。生活を掻き乱す物がごっそりなくなっった。生活面でも良い効果が出ており、あれだけ私を悩ませた睡眠も改善した。もっとも薬の変更とも重なっているので断捨離だけの影響ではないのだが、相乗効果が出たのは確かだ。

当初の目標は達成できた。身辺は確かに単純明快になったし、良い効果も出てきた。今後も取り組みを続け、より完全な状態を目指すこととする。

追記・『治道尚玄黙』とは『道を治めるには静かで数か少ないことが尊ばれるのである』という意味だという事をネットで知った。大国魂神社のおみくじには『その名を非するは、静に如くなく、虚に如くなし。静にして虚なればその居を得べし』と書かれていた。意味する所は全く同じだ。これを偶然で済まして良いものか。