引きこもりを弱虫やぐうたらと捉えていた時代

私は統合失調症と診断されるまでの数年間は引きこもりとしての人生を送っていた。なぜ自分が学校へ行けなくなったのか、自分でもよく分からずかなり悩んだ。当時引きこもりは社会問題になっており、様々なテレビ番組で特集されていた。実際は病気であったのだから一刻も早く病院へ行くべきだったと母は悔やんだが、なまじ世間様で引きこもりが流行っていたが為に判断が狂ってしまった。

当時テレビでこんな特集が組まれた事があった。それは、ヤンキー上がりの熱血塾講師が、引きこもりを無理やり外へ連れ出し、色々な社会勉強をさせるというものであった。この特集のムカつくところは、社会勉強と称してキャバクラへ無理やり連れて行ったところだ。明らかに場違いな、意気消沈している若者が、キャバ嬢に仕事などを聞かれ、しどろもどろと大学入学資格検定を目指していることをなどを説明するくだりは、悲惨というより他になかった。

当時、社会の引きこもりに対する認識は、弱虫やぐうたらであるという程度のものだった。なので強引にでも外へ連れ出し、発破をかければ、気の持ちようで良くなる物だと思われていた。しかし実態は、精神科を早期に受診させ適切な医療を施すべき人たちであり、そこを見誤って私のように受診が遅れた人たちは数多く居たように思う。

ここで前述のキャバクラへ連れて行かれた若者の心中を私が解説してみる。引きこもりにとって外の世界というのは毒の沼である。ドラゴンクエストというゲームでは、マップを歩いていると毒の沼に遭遇する事がある。そこを通らなければ先へ進めないので無理やり歩くのだが、一歩歩くごとに体力のポイントが減ってゆくのである。うかうかしていると体力が底をつき、ゲームオーバーだ。

したがってキャバクラという空間はただ居るだけでも苦しい。綺麗なお姉さんが来ても嬉しくもなんともない。言うなれば毒の沼でモンスターと遭遇してしまった勇者の心持ちである。考えることは、一刻も早く敵から逃げ出し、早々に毒の沼を抜け、早く街へ帰って体力を回復しなくてはいけないと言う事だ。でなければ死んでしまう。

これはジョークではない。実際問題キャバクラで死ぬかという問いに対して私はこう答える。それは、うずくまってしまって身動きできずに救急に保護されるという事態になる、もしくはパニックになって大暴れをして警察のお世話になる、の二択であるだろうと。引きこもりの頭の中は「早く家へ帰りたい」の一色に染まっている。先述のショック療法はやり過ぎであるし、当人にとってはとんだ災難である。

引きこもりが外の世界へ出ると、猛烈な違和感を感じる。私の場合は拒絶反応すら出た。まずモノの見え方が違うし、そもそもモノもあまり目の中に入ってこない。なんだかわかんない状態になる。なんだかわかんないからどこへ行ってもキョドる。そして自信をなくし、疲れ果てて戻ってくる。もし引きこもりを外へ連れ出す必要性に迫られている人がいたら肝に命じて欲しい。自分が見てる世界と引きこもりの人に見えてる世界は違うという事を。

さて、こういった経験を経て、私は精神障害者になった訳だ。同じ引きこもり状態でも、統合失調症が認められる場合は引きこもりにカウントしない(各種書籍やWikipedia参照)というのが今日の精神医学の見解である。おかげさまで私は今では気の赴くまま、なんの制限も無く外へ出かけられるようになった。しかしここまで来るのは容易ではなかった。だいたい十年くらいの月日がかかった。自分の経験から言えるのはただ一つ、引きこもったらまず精神科・心療内科を受診せよ、ということだ。さもないと私のようになってしまう。周りに流されずに若干の勇気を持とう。