今回の議題は『メディアの地域間格差』についてだ。テレビ放送がそうである様に、メディアが伝える情報には地域間格差が存在する。普天間基地移設問題では、沖縄では沖縄なりの世論がメディアにより形成されており、大阪都構想の時には大阪のメディアにより大阪なりの世論が形成された。
これは東京も同じで、国会議事堂で加熱している様々な問題は、関東圏だけで話題になっているだけであり、地方都市の人は蚊帳の外である。また様々な論調も、東京に暮らす人にとってはみんなと同じであっても、地方へ行けばみんなと同じではない事が多々あるだろうと思う。
この様に地方によってバラバラな考えをしていたのでは国がまとまらない。
その大きな要因として存在するのが、テレビと新聞の地域間格差である。大都市を除き、その他多くの都市では、テレビのチャンネルがそもそも少ない。放送される番組も時代遅れの再放送が多い。
新聞も関東圏のものとは異なり『全国版』という半ば簡易的なものが配布されているにすぎない。今はインターネットがあるから大丈夫だという人がいるが、地方の農家のじいさんばあさんなどはインターネットとは無縁の生活を送っているという事を無視してはいけない。
更に問題なのは、大手メディアが偏向報道や世論誘導を日常的に行っている事である。しかし彼らは彼らの思惑があり、その思惑に基づいて報道を行っているだけである。メディアというのは慈善事業ではないし、逆に利益さえ出れば良いという問題でもない。国の世論を形成させるだけの影響力を持っている以上、メディアがそれを行使しないはずがない。これは由々しき問題である。
ここで私は『全国の地上波テレビをBSでサイマル放送すべし』という提案をしたい。国家の重要事案が東京だけで決められてしまわない様に、全国津々浦々まで情報を行き渡らせるべきである。と同時に、今地方で何が起きているのかを東京(国会議事堂)まで吸い上げなければいけない。それにはサイマル放送が適していると思われる。
現在のBS放送は高画質化や有料放送などを売りにしているが、その実態をよく見てみると、あまり面白くない大自然の風景やそのドキュメンタリーなど、公共の電波としてはあまりにお粗末な内容が流れているにすぎない。
BS放送は高画質なのが売りではあるが、画質を落として放送することも出来る。仮にBS放送を標準画質にまで落とすとするならば、BS放送というのは民放キー局と全国の地方局すべてをサイマル放送できるだけの電波の帯域幅は持っている。これを利用しない手はない。
BSでサイマル放送ができれば、今東京で何が起こっているか、大阪で何が起きたか、沖縄で何が行われているのか、その情報を全国民が地域間格差なしで見る事が出来る。また、様々な地方局が混在する事で、大手メディアは偏向報道や世論誘導がやりにくくなる。今までは自分の守備範囲だけ気にしていればよかったものが、全国規模になると悪さも難しくなり、大手メディアは必ずボロを出すだろう。一億の国民すべてを騙し続けるなど無謀な企みである。
更にその副産物もある。メディアの地域格差が解消されると、東京の人口一極化が解消されるだろうと思う。今の一極化の主な原因は大学にある。地方の学生たちが東京の大学へ来る為に上京し、就職、そのまま居ついてしまうという一連の流れが出来上がっているからだ。
一度東京で暮らし始めると、地方との一番の差はテレビの充実度である。最新のお笑い番組や話題のアニメ、地方局とは明らかにレベルの違う放送が連日流れる。その快適さを一度覚えると、とても地方へは戻れない。
しかし地方でも東京のキー局が見れるならば、皆は以外とあっさり東京を捨てていくだろう。東京は物価も高いし、人間関係もギスギスしている。それに子育て世代などは、やはり空気の良い、自然の沢山ある所で子育てをしたいと思っているはずだ。
テレビというのは人々にとってとても重要なツールである。しかしそれを運営する方は様々な思惑と利権が絡み、難しい業界でもある。それ故、私の『全国の地上波テレビをBSでサイマル放送すべし』という提言を実現させるのはほぼ不可能であろうと思う。あまりに多くの関係者に直接的に影響する提案であるので、よほどの偉い人が鶴の一声を発しない限り難しい問題だ。
しかし日本の事を大局に立って考えてみれば、この案が一番クリティカルに効果がある様に思う。日本をまとめ、尚且つメディアの健全性を自然に保つ事ができる。健全なテレビなら、皆のテレビに対する注目度も高くなり、テレビ離れも食い止められると思う。