私はずっと病人だったので就労経験がない。でも考え様によっては『今まで秘密保持契約(守秘義務契約)を結んだ事が一度もない』とも言える。これは則ち『人生経験の中で、公で喋ってはいけない事は一つもない』という事。私のツイッターやブログが自分語り中心なのは偶然ではないのかもしれない。
守秘義務契約を締結した事がないので、自分の人生で話してはいけない事柄は存在しない。そしてツイッターという場があるおかげで、自分の負の側面や苦しみなども隠さずにいられる。これはかなり特殊な境遇で、まるでティーンエイジャーの様なのだが、隠し事がないと言うのはとても身軽な人生だと思う。
過労死の問題について、私は諸悪の根源が守秘義務契約なのではないかと考えている。どれほどのハードワークなのか、どんな仕事で困っているのかを人に相談しようと思っても、守秘義務の所為で具体例を話せない。SOSが抽象的になる所為で、相談相手も抽象的なアドバイスしか返せず、結果手遅れになる…
今書いた様な仕組みが働くと『死ぬ前に会社をやめる』という選択が出来なくなる様に思う。今の働き方改革の議論の様に、ハラスメントや残業時間といったうわべの議論では、過労死は防げない。過労死の問題は職場によって個別の要素が絡んでくる。SOSは必ずある。
守秘義務さえなければ… もっと色々話せる筈なのに…
困った時は、人に話して、一緒に考えて、策を講じる。これが何よりだと思う。私は病気でとても苦労したが、誰も相談できる人が居なかったので、この事の重要性は身に染みて分かっている。一人で闘って勝てる筈ないんだ。仮に勝てたとしても、その頃にはおじいさんになってるだろうよ…
一人がマズイというのはいじめの問題も同じ。クラス全員が敵に回ってしまった場合でも、せめて教師だけでも味方になってくれてれば状況は変わるんだ。一番マズイのは教師がいじめを把握できていない事。把握できずに孤立させているという事は、教師がいじめに加担しているも同然。しっかりしてくれ…
過労死の問題であってもいじめの問題であっても、誰かと話すという事が重要だ。それはその時に一番ふさわしい形でのSOSになる。あと、こういった社会生活上の問題の場合、家族への相談というのは最後の最後になる。その時には既に収拾がつかなくなっている場合が多い…
ここで守秘義務の問題に舞い戻る。守秘義務契約を結ばされると職場の問題を家族にも話せなくなる。家族に助けを求めたくても守秘義務がそれを妨害する。それを無視して家族に全てを打ち明けたとしても、その後の社会的な制度活用になかなか進めない。結果、これまで多くの人が泣き寝入りしてきた。
守秘義務が人生を重くする… 隠し事や話してはいけない事が無ければどれだけ身軽に生きられるかを、私はよく分かっている。これまでの話は、長い期間の闘病生活でちょっと特殊な立ち位置に居る私だからこそ考えられた事なのかもしれない。