昨年の大掛かりな薬減らし(断薬)の後、私は自分のメンタルの詳細な挙動を知覚できる様になった。断薬はあまりに過激であり、私は様々な症状に苦しみ地獄を見た。だがその経験のおかげで自分のメンタルの構造を理解できる様になり、言葉にできない様な小さな変化を感じ取れる様になった。
私の仮説だが、統合失調症になる人というのは、それまでの人生で自分の『心・考え・意識』をあまり知覚する事なく生きて来た人なのではないだろうか。それは正常なメンタルであったという事でもあり、とても幸せな事なのだが、何かの拍子にそのバランスが崩れてしまうと、私の様に一気にメンタルが壊れることになる。『心・考え・意識』のことをこの分野では『知・情・意』と呼ぶ。私の病気には、これら3つの連携に不具合が出るという意味で、精神の統合状態に失調をきたすという病名(統合失調症)がつけられている訳だ。
おそらく人間の心というのは『円(まん丸な形)』なのだろう。中心から見て、全ての方向に意識が向けられる様に、人は丸い形をした心を持って生まれてくる。生まれた時は小さな円だが、成長していくに従って大きな円になる。だが人には得意不得意があるので、自分の意識が向きやすい方向に円は伸び楕円形に、一方不得意なことに関しては意識が向かないので円は伸びて行かず相対的に凹んだ形になる。その結果、人の心は大人になる過程で、どんな人でも一様にいびつな形に成長してしまう様である。そして自分の不得意の部分、円でいうと丸の凹んだ部分はその人の弱点となる。
人生には不測の事態がつきものだ。ある日、この凹んだ部分に何かがサクッと突き刺さる様な出来事が起こる。しかしこの時、冒頭の話の様に自分のメンタルを知覚せずに生きて来れた人はこの刃に気づかない。せいぜい『なんかおかしいな』と思う程度だ。健全なメンタルだったばかりに、僅かな心の異常を知覚できず、知覚できないが故に放置してしまう事になる。しかしサクッと入った刃はメンタルに刺さり続け、自覚がなく気にもとめなかった傷は、やがて亀裂になり、大きな溝になり、いずれ地割れの様になって心の円が真っ二つに破壊されてしまう様な事態になる。これは誰にでも起こりうることだ。自分で気づけないなら周りの誰かが気づくしかないのだが、それは容易なことではないし、実社会上、現実的に期待できるものではない。これはまさに『不幸』というより他にない。
私が中学で不登校(おそらく病気の発症時期)になった直接的な原因は『荒れた学校』にある。荒れたと言っても私が入学した年はまだ穏やかな方だった。だが前年に3年生が卒業するまでの間は壊滅的に荒れた学校だったらしい。それを知らない私達新一年生とは違い、昨年までの恐怖を引きずっていた教師たちは、校内の状況が昨年に逆戻りしない様、常に神経を尖らせていた。校内には常に異常な緊張感とただならぬ雰囲気があった。
そんな中、二学期に入るといじめっ子といじめられっ子が現れた。それは現代の様な陰湿なイジメではなく、単にやんちゃな子と内向的な子のイザコザの様に見えた。だがある時、彼らは一線を超えそうになった。一対多数での暴力沙汰になりそうになったのだ。私は自身の正義感に従い、それを『集団リンチだ!』と叫んで止めに入りその場は収まったが、この『集団リンチ』というワードに教師たちは恐怖した。私は事件の目撃者として教師たちから連日の事情聴取を受け、休み時間・放課後・授業中にまで単独で取り調べをされることとなった。あちらの口実は『事件の全容を見ているのだから説明してほしい』というもので、私は正義感に従って全てを出来るだけ正確に伝えようと努めた。長時間の尋問も誠心誠意対応した。だがその様な長時間の尋問に思春期の子供が耐えられる訳がない。私は深刻なダメージを受け、その後不登校になった。
私は当時、この出来事で自分がダメージを受けていることを全く自覚していなかった。家に帰ったら玄関で倒れ込む様に寝てしまう様な日が続いたが、にもかかわらず自身のダメージを全く知覚できない。それが故に当時の私は現実に起こった問題に対して防御策を取る事が出来なかった。だがこの状況に対して限界を超えた私の脳は防衛機能を発動、どういう訳か私は家の玄関から外に一歩も出られなくなってしまった。当時の私はどうやってもドアから外に踏み出せない。私は自身の状態を親にうまく説明する事ができず、仕方がないので『強制ストップがかかる!』と訴え、家から出る事に抵抗した。私は学校を休むという事を自分の意思で決めた訳ではなく、ドアから出られなくなったので結果的に不登校になってしまったに過ぎない。(家のドアから出れなくなってしまったので、学校以外の習い事なども全て出来なくなってしまった。)
だが当時の出来事を今になって考えてみれば、当時の私に教師たちが本当に求めていたのは事件の全容などではなかった。私にただ一言『見間違いだった』と言わせたかっただけである。いじめっ子もいじめられっ子も、事件の詳細を馬鹿正直に喋ったりなどしない。なので教師達にとってみれば、唯一の証人である私が『それは見間違いでした』と言いさえすれば、この不祥事を無かった事にできる。少なくとも『集団リンチ』というワードだけでも封じたかった。それは昨年までの恐怖の職場を経験して来た教師達にとっては死活問題だったのだろう。今考えると、どうもそういう事だったらしいのだ。
こう考えると、あの出来事は大した意味をなさない。大人になった今の頭で考えれば、あの事件は人間社会によくあるパターンのトラブルで、別に私が特殊な体験をしたという訳ではない。だがあの間抜けな『事なかれ主義』の大人達(教師)の事情など思春期の子供に分かる訳ないではないか。どうすればよかったのか今でも分からない。
これは私の人生が、『不登校(登校拒否) → 引きこもり → 統合失調症 → 精神障害者』という経過を辿るキッカケとなる事件だったのだが、今同じ様な出来事に遭遇したとしても、もう同じ様にはならない自信が私にはある。冒頭に話した様に、今なら自身の心の動きを知覚できるので、脳が防衛機能を強制的に発動する前に自分自身の手で何らかの防御策を講じる事ができるであろう。また、心の円を考えれば、自分がどういったモノが苦手でダメージを受けやすいのかもちゃんと把握ができている。もう子供の頃とは違う。最悪の断薬経験を経た今は、かつてとは比べ物にならないくらいの高度なメンタルで現実の出来事に対処する事ができる。だからもう大丈夫な筈だ。
追記・今まで心の奥に追いやっていた嫌な出来事をこうして文章に書けた事は大きな意味がある。それも解決済みの問題として書けたという事が、とても清々しい。