多様性を認めるにはお金が掛かる。社会はそのお金を支払う事をずっと拒み続けている。だから我々障害者は諦めなくてはならない。障害者に対する『合理的配慮』など期待するだけ無駄なのだ。借金まみれのこの国では、どこにも、誰にも、その様な余裕などない…
皆が一律に同じ様な行動をしてくれていた方が、社会にとっては効率が良く、お金の節約にもなる。だから個別の配慮が必要な弱者はどんどん切り捨てていく。今思うとそれをやっていたのが『昭和』という時代だった。(一億総中流、皆がサラリーマンで、ニュータウンに家を買う、みたいな…)
皆と同じ様に振る舞えない人、個別の配慮が必要な人は、常に『厄介者』として扱われる。過去の社会的弱者(広い意味であらゆるマイノリティーが含まれる)は、その不平等を泣きながら受け入れてきた。この構図は多分この先も変わらない。だから私も今の社会の不平等を泣きながら受け入れようと思う。
社会になど、何も期待していない…