私は禁煙する。過去幾度も失敗してきたが、今度こそ成功させてみせる。
世間からのタバコに対する風当たりは酷くなる一方だ。最近は家の玄関の前で喫煙していると通りすがりの人から「クサっ!!」と吐き捨てられる事が何度もあった。私はその度にとても悔しい思いをした。
更にJTがまたタバコの値上げを決定した。これも私にとっては追い打ちとなった。近所のおじさんたちはタバコの買い溜めに走っている。私も買い溜めしようと思ったのだが、思い止まった。何かが違うと思ったのだ。今、私がやるべきは、禁煙だ。買い溜めするという事は『禁煙なんてしない』と宣言しているようなモノ。それは違うだろう…
私は放送大学のオンライン授業で『がん』に関する講座を2科目も取って学んだ。そこではタバコとがんの明らかな相関関係が科学的に論じられていた。この世にあるがんの内、その何割かは『タバコが無ければ防げたはずのがん』なのだそうだ。タバコというと肺がんを連想しやすいが、実は他の種類のがんの発症にもタバコは多大な影響を及ぼしているという。
放送大学でそれを学んだ以上、私はもう禁煙しない訳には行かない。苦しくてもやるしかないだろう。
過去の禁煙で一ヶ月超えの禁煙を達成した時を思い返すと一つの法則がある事に気づいた。それは、タバコをすべて処分しないで、いつでも吸えるように残しておいた、という事だ。逆に『やめなきゃならない!』と意気込んで、退路を断つ為に喫煙具をすべて処分した時というのは、必ず短期間で再喫煙してしまっている。依存症においては、往々にしてこういう事があり得るのだ。強い意志や根性だけでは必ず失敗する。
そこで私が創りだしたのが『禁煙の祠』というモノだ。
未開封のタバコ、新品のライター、灰皿替わりに使っている缶も新品にし、私がいつも喫煙具を入れている棚に納めておく。
こうする事で、この祠は『苦しくなったらいつでもおいで。タバコは味方だよ。でも、本当に辛くなるまでは、ちゃんと我慢して禁煙するんだよ!』というメッセージを持ってくれる事になる。我ながら素晴らしい発想だと思うのだがどうだろう。
これは禁煙セラピー(という依存症の本)の様にタバコを仇として全否定するのではなく、タバコ自身が自分の禁煙を応援してくれている存在になってくれるという独自のハックなのだ。今まで味方だったタバコは、これから先も味方なのだ。ちょっと付き合い方が変わるだけ。この祠は、そういう意味でとても重要な儀式だと言える。
さて、準備は万端だ。祠も作った。懲りずに今日からまた禁煙を始めよう。私の禁煙が成功するかどうか、温かく見守っていて欲しい。