今日は病気について私の中で渦巻いている様々な悩みを主治医にすべてぶちまけてきた。15分間も私のネガティブな話を聞かされ続けた先生は災難だったと思う。でも、その私の悩みを先生は『健全な悩みだ』と言ってくれた。(それは病気の症状じゃないから安心しなさいという意味だ)
相談した内容は多岐にわたる。薬の事。無気力の事。病歴20年で今だに寛解の診断が一度も出ない事。社会的役割が欲しい事。自立し一人暮らししたい事。障害者雇用の水増し問題の事。差別の事。友達がみんな結婚してしまった事などなど…
病気だと出来ない事がたくさんある。だから私は心底『普通』ってやつになりたいのだと話した。でも先生は『普通って何だ?その友達みたいに大学行って結婚すればそれが普通なのか?』と問う。そして『障害者を差別する人はいるが、君は自分を差別している!』と言われてしまった。これには大変驚いた。
これは妙に聞こえるかもしれないが、分かり易く言うと『障害者が障害のある自分自身を自ら障害者だと差別している!』という意味になる。この言葉に先述の『普通って何だ?』を組み合わせると、先生の言わんとする所が見えてくる。
これは私の解釈だが、普通なんてものは存在しないという事だ。幽霊と同じであり、ある様な気がするし、時にはそれを目の当たりにする事もあるかもしれないが、でも無いんだ。ご近所さんや友達などはいかにも普通に暮らしている様に見えるけど、実際は様々な悩みや、ドロドロしたものを抱え込んでる。
無数にある人の人生を『普通』って言葉で単純化しちゃいけないんだ。ありもしない虚像と比較して悩む事はないんだ。そう考えると、先生が私にくれたメッセージは『自分の人生を生きろ!』と言う事になる。障害に関係なく、もしくは障害を含めてでもいい、自分の人生を創れって事なのだろう…
もはや病気のあるなしなんて関係ないんだ。人の人生に基準なんてものもない。『普通』なんて無い。だからどんな人生でもいい。自分の人生を自分の足で歩く。それが生きるって事なんだと思う。
今回の受診で、主治医の先生からはとても重要なメッセージを受け取った。感謝する。