— 決心 —-
自立を目指し、外の世界へ踏み出してみる。そんな頃合いだと思う。それが出来るだけの下準備に、私は日々多くの時間を費やしてきた。病気を制し、自己を制する、そのストイックなまでの闘病生活が、私に大きな精神的成長をもたらしてくれた様に思う。今の私なら、働く、家を借りる、恋愛をする、そんな当たり前のコトが、出来るようになっているのではないか。そんな気がするのだ。
— 現状 —
・放送大学
来学期で放送大学を卒業できる見込みが立った。遂にだ。悲願達成の日が目の前まで迫ってきている。私はこの夏、思う存分勉学に励むことができた。その努力は実り、私がこれまでに得た大学の単位数は、卒業要件となる数に大きく迫るモノとなった。あと5科目だけ単位認定試験に合格すれば、問答無用で卒業となる。もう苦手な面接授業に行く必要もない。実に13年にも渡る私の努力は、今、収穫の時を迎えようとしている。
・統合失調症
私の病気は、これ以上ないくらいに良くなっている。何しろ精神症状が一つもないのだ。陽性症状も陰性症状もない。意欲の減退もなく、昼夜逆転もない。生活習慣は安定し、主治医からも『あとは社会参加が宿題として残っている』とだけしか言われていない。アルバイトの一つも出来るようになれば、主治医は安心して私に『寛解』の診断を下すことができるだろう。社会参加をすることが、私の闘病生活に残された『最後の一歩』となる。
— 得たもの —
・心
現在、私の心は強靭なモノとなっている。HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)という特性とも上手く付き合うことが出来ている。クヨクヨしないし、ネガティブにもならない。人の言葉にも傷つかないし、人から必要以上の影響を受けることもない。
それに社会の仕組みも理解できるようになったことで、相手の行動原理に配慮したり、相手との利害を意識したりする事も出来るようになった。これにメンタルヘルスの知識も加えれば、社会にどういう人間が蠢いているのかが手に取るように分かる。だからもう他人様に不必要に怯える事はない。認知機能の向上が、私に34歳という歳相応の社会性をもたらしてくれたように思う。
・身体
ナイキのシューズを買って以来、外に出る機会が増えた。ウォーキングやポケモンGO、Ingressなどをやるうちに、段々と身体に筋肉がつく様になっていった。プロテインバーや完全食COMPなどで、栄養も十分。今では外出しても体力不足で疲れるという事はまず無い。体力が十分にあればアルバイトをする上で役に立つ。倉庫での軽作業や検品などといった仕事をする道が開かれる。学歴がなく、統合失調症の為に車やバイクの免許も取れないとなれば、あとは体力を資本に稼ぐより仕方がない。その意味で、体力に自身が持てるようになったのは大きな事だったと思う。
— 戦略 —
一人暮らしをすることが最終目標となる。親元に居たのでは親の負担が解消されないからだ。母には長年負担をかけ続けてきてしまった。それを取り除きたい。
それに自立するためには仕事をしなくてはダメだ。定職につかなくても、アルバイトで良いんだ。無職では家を借りられないが、フリーターなら、より好みしなければ借りれる家はいくらでもある。それでワンルームを借りることができれば万々歳だ。
もし希望が叶うなら、倉庫や工場での軽作業を仕事にしたい。フリーターとしてアルバイトできれば、これ以上の嬉しいことはない。亡くなった祖父も『アルバイトぐらい出来る様になるといいね』とよく言っていた。だから給料がどうとか待遇がどうとか贅沢なことは言わない。メンタルを壊すような職場でなければそれで良い。再発だけはしないように注意したい。
あと、もしかしたら福祉の助けを借りるのが一番の近道なのかもしれないとも思う。就労移行支援事業で最低限の社会スキルを身につければ、その後もフリーターとして様々な場所を渡り歩ける。
— 2019年に向けて —
2019年は大忙しだ。大学を卒業し、働き、一人暮らしをする。そんな普通の人みたいな暮らしを獲得するために、私は一生懸命頑張らなくてはならない。私は今まで家で守られてきたから、自分の力だけで生きていけるのかどうか、正直良く分からない。しかし皆が出来ていて私に出来ない謂れがあるだろうか。社会で暮らす人達すべてが万全の状態で暮らせている訳ではない。それぞれがいろいろな制約の中で暮らしている。私の統合失調症という障害は、そういった制約の中の一つの要素に過ぎない。大きな阻害要因ではあるが、それですべてを諦めるのは間違っている。私は今まで準備をしてきた。病気と闘ってきた。時は満ちたのだ。
アメリカ海軍の特殊部隊・ネイビーシールズにはこんな標語がある。
『 決して諦めない 』
『 楽できたのは昨日まで 』
かなりストイックな言葉ではあるが、私はこの言葉を胸に頑張ってみようと思っている。私は未来の自分を信じている。