今、我々は淘汰されようとしている。

注・これから書く話は統合失調症の急性期にある人には当てはまらない内容なので注意して欲しい。急性期にある人には何より休息が必要だ。人生の事など考えず、仕事も家庭も放棄し、ただひたすらに休息に徹してもらいたい。それが急性期のダメージを最小に止める何よりの一手である。

ダーウィンの進化論から

私は統合失調症を発症し、長い闘病生活を強いられている。回復期にある今、どうしたら自身の病気を克服することが出来るのか… 私がその事を考えない日はない。

ダーウィンは進化論においてこう言っている。『環境に適応できない生物は生き残ることが出来ない。環境に適応した個体だけが生き残ることが出来る。そしてその営みが無数に積み重ねられた結果、種は何世代にも渡り生き永らえ、それが進化につながっていく。』

現状の私は、働くことが出来ず、一切の社会活動が行えず、子供を残すことも出来ない。私が病気になったことや、その後の社会復帰がままならない事などを総合的に考えると、私が『社会』という環境に上手く適応できていないという事は明らかだ。これは病気がどうこうという事を超えて、私の、一生物として、一個体としての問題だといえる。では私は何に苦しんでいるのかと考えてみると、今、私は自然界の法則により『淘汰されようとしている存在だから苦しんでいるのだ』と言う事が出来やしないだろうか。

これは恐ろしいことだ。『自分が淘汰されようとしている』なんてなるだけ考えたくない。だが私が長い闘病生活で日々感じる危機感は、この事を抜きには説明のしようがない様にも思うのだ。

今の私があるのは、私に命をつないでくれた祖先のお陰だ。父や母や、祖父や祖母、それ以前の先祖、もっと遡れば縄文人より前まで遡れる。私がここで淘汰されてしまっては先祖に申し訳がつかない。私はなんとか命を繋いで、生き残るための知恵を絞らねばならない。この事から目を背けてはいけないのだ。ましてや病苦を嘆いている場合ではない。

頑張らない人々

インターネット上を見ていると私と同じ病気であっても実に様々な人が居る。しかし皆が一様に病気になった自分自身に戸惑っているようにも見える。

一つ私には納得出来ないことがある。カウンセリングの領域において『頑張れ!』が禁句だとされていることだ。今まで頑張りすぎた結果病気になった訳で、もう十分頑張ったのだから今は頑張らずに休め、という事がこの業界では最大公約数的な統一見解となっている。だが、それは急性期にあって様々な精神症状で病気が燃え上がっている人に対する解釈なのだと私は思うのだ。私のように病気の回復期にある者は『頑張りすぎない』とか『無理しない』などと悠長な事を言っていてはいけないのではないかと私は考える。

何しろ自分は今淘汰されようとしている訳だ。相手は自然法則で、それに抗うのは並大抵のことではない。頑張って、頑張って、どう頑張ったら良いのか知恵を絞る。回復期の人間にはそういう姿勢が求められている様に思う。

なのにインターネット上の統合失調症の人々を見ているとそういう気概がない。手帳と年金をもらっていればそれで安楽だと考えているようにさえ見えてしまう。これではいけない。

知恵を絞って運命に抗え

人には知恵がある。それが他の動物と人間との一番の違いだ。

私は知恵を絞らねばならない。どんなに頑張っても、失敗する方法で頑張ってしまっていては、結果的に失敗するだろう。なのでどう頑張れば失敗せず生き残ることが出来るのか、生活と人生を良くする為にはどう頑張ればよいのかについて、私は最大限の知恵を絞らなければならない。

統合失調症を患っている人に頑張れというのも酷な話だが、回復期にあるなら頑張らなければ私たちに未来はないのだ。働くことを諦めてはダメだ。社会参加を諦めてはダメだ。結婚も諦めてはいけない。知恵を絞って頭と体を動かし、自然法則に抗うべきだ。

もちろん私は精一杯抗うつもりだ。もしこれを同病の人が読んでくれていたらこう言いたい。

『共に頑張ろう!』