気持ちというものをむやみに振り回したりしてはいけない

自分の気持ちに振り回されている人が無視できない数いる。そういうツイートをよく見かける。けれども私から言わせれば人の気持ちというのはアテにならない。それはとても不確定で、どうにでも解釈でき、その解釈を本人が後から変更してしまう事すら可能だからだ。だから私は気持ちを重視しない。

もしかしたら私はリアリストなのかもしれない。暮らしの上でも事実を積み上げることを重視しているし、意思決定の時なども、問題となっている事実がワガママな理由で捻じ曲げられてしまうのを嫌う。事実よりも気持ちを重視してしまうと状況はかなり振り回される。それはつまり実害が出るという事だ。

人の気持ちを重視しないなんてまるで人でなしの発言みたいだが、そうじゃないんだ。こういうスタイルになるまでに、私も色々あったという事なんだ。

私は自身の病気とそれから来る生活環境の問題に長らく取り組んできたが、その中ではっきり分かったのは、気持ちだけでは自身の問題が何も解決できなかったという事だった。『病気を治したい』という気持ちは誰よりも強いモノだったが、それだけで病気が治る筈もなく、結果ただ時間だけが過ぎて行った…

しかも自分の気持ちや苦しみを家族に訴える事が、結果的に一家共倒れという事態を引き起こしてしまい、その後、家族を元の状態に戻すのにとても苦労する事になった。私が家族を苦しめた事は無かった事にはできないし、今でもその影響は色濃く残り続けている。

『自分はこう思っているんだ!』とか『なぜ私の気持ちがわからないの?』といった思いというのは、相手があって成立するものだ。でも自身の抱える問題を解決するのは誰でもない自分自身に他ならない訳だ。だから相手に気持ちが上手く伝わったとしても、それは問題の解決にまったく繋がらない。

気持ちというものを絶対視したり、むやみに振り回したりしてはいけないんだ。私は多大な犠牲を払ってその事を学んだ。だから今では気持ちを重要視しない。気にはするが、決して重要視しない。それは自分の気持ちも相手の気持ちも同じ。なるだけ事実だけを見る様にしている。

この影響は私のツイッターにも反映されている。自分の過去ツイートを見返してみても、意外と冷静なツイートをしている事が分かる。感情的なツイートは少ない。だから私のアカウントは病み垢にならずに闘病アカウントとして保つ事ができているのだろう…