断薬
この時期(2月頃)になると、いつも2016年の断薬の事を思い出す。あれは強烈な体験だったから…
あの後から、私の病状は大幅に改善してゆき、お陰様で私は今も良好な状態を維持する事が出来ている。私は病気が再燃するのではないかとずっと不安を抱えていたのだが、最低限の維持量を継続(朝夕・リスペリドン1mg)している為か、2年経った今でも病気の症状は現れてはいない。
あの時から私は『脳機能の複雑さと繊細さ』について思いを巡らし続けている。なぜなら断薬後、それまで出来なかった放送大学の勉強ができる様になったり、ギターが突然弾ける様になったり、イングレスや土手のランニングなどを積極的に楽しんだりできる様になるなど、自分の脳と体が断薬前とは明らかに変わっている事を体感し続けているからだ。断薬前と後で一体何が変わったのか。今日はそれについての考察を書きたいと思う。
認知機能
断薬後の私に起こった事で一番重要だったのは現実認識能力が格段に高まった事だった。それまでの私の目には、何を見ても靄がかかった様な景色しか映っていなかった。そして私はそれを病気の所為だと思い、悩んだ。しかし断薬経験が、それは間違いで、服薬している薬の所為だった事を教えてくれた。今の私の目には、綺麗な街並みや美しい多摩川、そしてダイナミックに変化する空の様子や、暖かな日の光がはっきりと見えている。その後、私が『現実認識能力』と呼んでいたモノが、医学的には『認知機能』と呼ばれている事を知った。
認知機能とはWikipediaの語を借りれば…
—引用—
外界にある対象を知覚し、経験や知識、記憶、形成された概念に基づいた思考、考察.推理などに基づいてそれを解釈する、知る、理解する、または知識を得る心理過程。
—引用ここまで—
という事になる。
この言葉を知った事で、私は私の身に起こった事の多くが説明できる様になった。ただ単に世の中の見え方が変わっただけではない。今まで出来なかった大学の勉強や、ギターが突然できる様になったのは、この認知機能が回復したお陰だったのだと分かる。
ギターを例にとってみよう。ギターというのは弦を抑えてピックで弾けば音が鳴る楽器だが、それを正確にやってのけるには、自分の指を自覚し、弦の感触を確かめ、次に自身の鳴らそうと思っている音がなんなのか、すべて同時に、かつリアルタイムに認識出来ていなければいけない。認知機能が低下していると、自分の指も、弦も、音も、何も認識できていない訳で、そんな状態では楽器を正しく扱う事などまず出来ない。
認知機能というのは、言ってみれば『普通の事を普通にする能力』の事である。私が精神障害者になったのは普通の事が普通に出来なくなった所為なのだから、この機能が復活してくれたという事は、病気回復の観点から見れば大きな前進だと言える。
体力と認知機能
家でずっとパソコンに向かうだけの生活をしていた私が、放送大学の単位認定試験や面接授業の様な丸1日がかりのスケジュールを頻繁にこなす様になった結果、私の体は脂肪が減り、その分はどんどん筋肉に置き換わり、それと同時に認知機能は目覚ましく改善してゆき、私のメンタルはいつの間にか日々の生活に充実感を得るまでになっていった。どういう訳か、認知機能の回復というのは体力や筋力の回復と比例しているらしい。
この事から色々分かる。おそらく老人がボケるのは脳が老化しているからではない。体力や筋力の低下が認知機能の低下を引き起こしているからだ。いまの医学もそれをちゃんと解っていて、だから”認知症”という名前をつけている。言うまでもなく認知症の”認知”とは認知機能の認知の事を指している。
そしてその事は私の病気と無関係ではないのだ。認知症の事を昔は”痴呆”と言ったのだが、私の統合失調症は精神分裂病(注・以前の呼び名)と言われるもっと前には”早発性痴呆”と呼ばれていた。早発性痴呆と言う呼び名はかなり昔の呼び方(今は使われていない)ではあるが、当時の医師たちも私と同じ病気の患者たちを診ていて『認知機能の低下』が主たる症状である事を認識していたのではないかと思われる。そこらへんの医学史については、私は医者ではないので、残念ながら詳しく知らない。
疑問
だが一つ疑問が残る。なんで私は薬をやめた(減らした)事で病気から回復出来たのであろうか。認知機能の低下が統合失調症の症状で、服薬でその症状を抑えていたのなら、本来なら認知機能は服薬により改善していく筈だ。なのにあべこべに薬をやめた(減らした)事で認知機能が回復したというのではつじつまが合わない。
それに認知機能と体力の低下に関する因果関係も不明だ。体力の低下で統合失調症が発症するとは考えづらい。きっと他の要素もたくさん絡んでくる筈だ。
私の病気には私の知らない事がまだまだ沢山ある。この辺の事は、きっと医師や製薬会社に聞けば詳しい説明をしてくれる(聞きづらいけど)に違いない。精神科の薬に若干の不信感は残るが、それはただ単に私がその辺の薬理を詳しく知らないだけなのだと思いたい。だから私はいまでも『脳機能の複雑さと繊細さ』を考え、学ぶ。学び続ける…
取り留めのない文章になってしまったが、最後まで読んでくれてありがとう。