なぜ私がメンタルの病気を患ったのかを考えたのだが、それは私が生まれつき内面の活動を重視するタイプだったからだという他に、説明のしようがない様に思う。感受性が強く、良く言えば豊かな心を持っている人という事はできるが、悪く言えば敏感すぎるという事でもある。
普通の人というのは大抵の場合、何を食べ、何を飲み、どうお金を稼ぐかを考えて生きている。これは自分と自分のまわりに重点が置かれた生き方だ。しかし私の様なタイプの人間は、芸術を愛し、四季折々の変化を楽しみながら生きている。この場合、重点の置かれている所が、どこか自分とは別の所にある…
飲み食いする物がなければ困るのは確かだが、だからと言って私は多くのものを望みはしない。例えば私は贅を尽くした豪華な食事になど興味はない。むしろ秋のお月見の時に食べる真っ白な何の味もついていない様な団子を楽しむ。それが私の良い所だ。だが普通の人はそれでは満足できないのだろう。
これはもちろん悪い事ではない。単にタイプが違うだけの事なのだ。でも世の中では物思いに耽っている人より、現実の仕事をテキパキこなす事のできる人の方が重要視される。社会がそういった人たちの基準で構築されている事で、私の様な人間はその社会とのギャップで苦しむ事になる。
競い合って、お金を稼ぎ、豪華な料理を食べる事に、一体何の意味があるというのか。そういうタイプと真反対な私の様な人間が、そういった競争社会の争いに疲れ果て、現実を拒否しだした時に、どうやらメンタルをやられるらしいという事が経験から分かった事だ。
世の中には私の様な(芸術を愛し、四季折々の変化を楽しみながら生きている)人間がかなりの数いるらしいという事が、年齢を重ねる毎に段々と分かってきた。でもだからと言ってそれをどうしたら良いのかが分からない。今の私には、社会の犠牲者が日々量産されていく様を眺めている事しかできない。
メンタルの病気は治る。薬で治す事は出来ないが、多くの場合、時間が解決するだろう。それまでの間、決して自分の豊かな内面活動を否定したり、無理して今の社会に順応しようと苦しまないでほしいと思う。むしろ豊かな内面活動を高度に完成させた時こそが真の回復の時なんだと考えてもらいたいな…