新たな決意(2018年)

劇的な回復

病気が良くなってきた。これは奇跡的なことだ。一昨年に減薬し、その後生活習慣を改善し、昨年は通信制大学にも通って、最近では体力も付いてきた。

そんな充実した日常を送っていたら、いつの間にか陰性症状が無くなっていることに気づいた。これはちょっと驚きだ。陰性症状も陽性症状もないなら、もはや病気ではないではないか。これは寛解なのか、寛解に限りなく近い何かなのか。そんな未だかつてない程の充実した暮らしに、今はささやかな幸せすら感じている。

でも、何かが変だぞ。

この釈然としない心の詰まりを取らないことには、この先へ進めない。今回は今の私が抱えるメンタルの内面を掘り下げたいと思う。


社会的孤立

何かが変だと感じる原因は明らかだ。それは今の生活が『社会的孤立』という問題を解決できていないからだ。その所為で生活のすべてが違和感だらけになってしまっている。以下、社会的孤立の具体的な項目を列挙してみる。

  • 遊び友達がいない(普段はずっと一人)
  • 彼女がいない(いた事がない)
  • 仕事がない(誰も私を雇わないと思う)
  • 仕事仲間がいない(なので話す相手が誰もいない)
  • 父母が別居中(とても長期間この状態で解決せず)
  • 頼れる親戚もいない(祖父なき後、疎遠に)
  • 福祉サービスを受けれていない(主治医が一人いるのみ)
  • 収入源がない(障害年金・月64000円のみで生活)

ぱっと思いつくだけでもこの有様だ。本当に、誰とも、何の繋がりもなく、完全な孤立が成立してしまっている。喜怒哀楽を誰とも共有できず、誰からも共感されることのない生活は、かなり気が滅入る。(同居している母と弟だけしか話し相手がいないのだ)


差し迫った脅威

こういう状況の中、今の生活を永遠に続けるわけにもいかない。実は差し迫った脅威もある。それが…

  • 金銭的な問題(収入源を見つけねば)
  • 家族からの自立(一人暮らししなければ)
  • 脱・無職(仕事を見つけ、社会的な立場を得なければ)
  • 結婚(結婚適齢期を過ぎ、一生独身がほぼ確定)
  • 両親の熟年離婚(母を守るために私が自立しなければ)

という訳で、これらの問題から逃れるすべはもはやない。


放送大学が卒業できず

私は10年以上も放送大学に学籍を置いているが、未だに卒業できていない。そして在学可能学期数も残り僅かだ。大学を卒業したら、その大卒資格を持ってハローワークに行こうと考えていた。そうすれば自ずと道は拓けてくるものだと。でもこれは考えが甘かった。

まともな学生生活の経験がなく、学歴も得られず、履歴書も真っ白なのでは、もう何の見込みもない。障害者採用ですらまず無理だ。(前職の経験やスキルは必ず問われるし、私にはそれがない。)

その他に、家で得意なコンピュータを使って仕事をするというビジョンもあったのだが、これは今では非現実的なプランだと分かる。昨今のフリーランスブームで在宅ワークはかなりの脚光を浴びたが、その分厳しい現実も多く明るみに出た。在宅ワークはただパソコンを弄っているのとは訳が違う。在宅ワークは、言ってみれば個人事業主のことなのだ。その活動は何から何まですべての責任を自分で負わなくてはならない。そんな事、とてもじゃないが病み上がりの素人にできるものじゃない。

こういう状況から、現在主治医に勧められているのは就労移行支援事業(福祉作業所)というものだ。現実の社会は無理だとの配慮なのだろう。


立ち止まる

私は今ふと我に返って、そういう社会的なプレッシャーはすべて取り払ってみる必要があるのかなと思った。心の声が雑念で掻き消されてしまわないよう、一度静かに考えてみるとよいのかも。

『・・・・・』

本当にやりたいこと

私が本当は何をやりたかったのかといえば、それは『音楽』なのだろう。病気のせいでずっと心の奥に埋もれていたのだが、間違いなく私は『音楽』をやりたかった筈なんだ。諦めていた筈なのに、諦めきれてない。放送大学を卒業したいとかコンピュータを極めたいとかいった選択肢は、実は音楽を諦めたことからくる妥協点にすぎないのかもしれない。

私は、山本彩さんがツイッターのプロフィールに書いてる『ずっと音楽をやっていたい多趣味人間です』という言葉が心の底から羨ましかった。同じ思いが私の中にもずっとあった。でも私の場合は病気がそれをずっと邪魔し続けていたんだ。でも今のように病気が治ってきたのなら状況は変わる。少なくとも、私がしたいのは『就労移行支援事業』に行くことなどではない。

私はこれまで世間体を気にしすぎていたのかもしれない。障害者としての人生を悲観し、普通の人になろう普通の人になろう、と一生懸命頑張りすぎた。私は既に病歴20年だ。もはや真っ白な履歴書をどうこうしようと思っても遅すぎる。それにここまで来たら社会的孤立がどうとか差し迫った脅威がどうとかなんて、もはやどうでもいいではないか。

私の病気はいずれ治るだろう。しかし私はもう普通の人になどなれない。

これからはこの事を肝に銘じよう。クヨクヨ考えるのはよして、もっと音楽のことを考えればいいんだ。楽器を練習して、共に音を鳴らしてくれる仲間を見つけよう。仲間が見つかれば、それだけで社会的孤立は解消されるのだから。

音楽ができるなら、それですべてが報われる。きっと今までの病苦もチャラになるさ!