近所の自販機から長いこと紅茶花伝が姿を消していたのだが、今日行ったら見事復活していた。祖父がよく買ってくれた思い出の紅茶花伝、とても嬉しかった。で、久しぶりに買ったら缶がスチール缶からアルミ缶へ変わっていて少し驚いた。丸みがあって持った感じが良い。新デザインも悪くないと思った。
カテゴリー: Twitter (’18)
放送大学卒業という大目標を達成すべく奮闘する一年です。在学可能学期数が足りないことに焦りを感じた私は、最後の追い込みをかけるべく、大量の科目を一気に申請し、今までやったことのなかったオンライン授業にも奮闘します。と同時に、過去最大のツイート数を誇る年にもなり、私のツイッターライフはとても充実していました。が、年末に、突如としてアカウントを閉鎖する決心をし、本当に閉鎖してしまいました。
タバコを吸ってた頃は、玄関の外の所で吸っていたので、近所の人に見られてもいい様に私は常にジーンズとTシャツを着て暮らさなくてはならなかった。でも禁煙生活が上手くいって、外に頻繁に出なくなったから、もはや一日中ジーンズを履いてる必要はない。だから今はルームウェアを着て暮らしている。
ユニクロで適当に買ったルームウェアが思いのほか快適だった。柔らかい素材で出来ているので、とてもリラックスでき、体が楽なのだ。ジーンズで暮らしていた時にはなかなか無かった感覚だ。家では家の服を着る。当たり前の事なんだけど、人間はちゃんとTPOに合った服を着てた方が良いのだな…
秋も深まり、段々と冬が近づいてきている。ヒートテックの下着を着てれば大抵の寒さは防ぐことが出来るが、一言にヒートテックと言ってもモノによって暖かさのランクがあるから注意してほしい。私が着ているのは『超極暖』という一番暖かいやつなのだが、着ていて快適だし、なかなかの優れ物だと思う。
ユニクロでまったく同じ靴下を6足買った! これで、靴下が片方なくなったり、片方にだけ穴が開いてしまったりしても、大丈夫だ。全く同じだから変えが効く。これは以前ツイッターでコメントをくれた人が教えてくれた方法なんだ。ちゃんと実践してるよ!
Happy Halloween!!
久し振りにMacに日の目が当たって嬉しい。でも結局、最後はiPad Proにすべて持ってかれてしまった感はある。それでも私は、今回の発表を見た人にMac miniの素晴らしさが伝わってくれていれば良いな、と思っているのだ。Macの素晴らしさ、もっと広まれ!
今回の発表で地味に私が嬉しかったのはMacBook AirやMac miniがリサイクルのアルミニウム100%で生産される事になったという話だ。私が先日Apple GiveBackでリサイクルに出した端末たちも、少しはそれに貢献できたのだろうか。そうだったら嬉しい。
始まった! 今回は何が発表されるのか分からない! 完全に未知の領域だ!
ベンゾジアゼピン系の薬を全て断薬してしまったので睡眠導入剤なしで寝なければならなくなった。でも寝付きがとても悪いのだ。毎晩が苦痛だ。そんな生活がもう1ヶ月以上続いている。 マイスリーは無理して止める事なかったのかもしれない。私には必要な薬だったのかもしれない。少し後悔している。
ツイッター上で、同病の人が『眠剤飲みました!』なんてツイートしてるのを見ると、私はとても複雑な気分になる。羨ましいのだ。たった一錠の錠剤でこの『寝れない!』という苦痛から逃れる事ができるなんて… 私はなぜ止めてしまったのだろう… 本当にこれで良かったのだろうか…?
日中は活動的に過ごしている。日の光にも当たっている。運動もしている。食事もモリモリ食べている。部屋は綺麗に掃除し、シーツや毛布も洗い、衛生的なパジャマと下着に着替えて、静かに布団に入っている。なのに寝れない! 何故なんだ!? これ以上……何を努力しろと言うのか……?
今日はポケモンGOのコミュニティ・デイだ。ダンバルが大量発生している。色違いに出会える確率が格段に高くなるし、たくさん捕まえれば進化させるのも容易になる。 ちなみに昨日まではハロウィンにちなんでゴーストタイプのポケモンがたくさん出る様になっていた。飽きさせない仕掛けがたくさん!
美味しかった! ご馳走様でした!
どうしよう……作ってしまった……!
ポケモンGOのレベルを上げるべく隣駅まで自転車で突撃してきた。隣駅にはジムが多いから探せば簡単にお目当てのレイドバトルを見つけ出す事ができる。レイドバトルでは弱いポケモンが相手なら私でも勝てる。そしてレイドバトルで勝つ事が、レベルを上げるには一番効率が良い。バトルしない手はない!
多様性を認めるにはお金が掛かる。社会はそのお金を支払う事をずっと拒み続けている。だから我々障害者は諦めなくてはならない。障害者に対する『合理的配慮』など期待するだけ無駄なのだ。借金まみれのこの国では、どこにも、誰にも、その様な余裕などない…
皆が一律に同じ様な行動をしてくれていた方が、社会にとっては効率が良く、お金の節約にもなる。だから個別の配慮が必要な弱者はどんどん切り捨てていく。今思うとそれをやっていたのが『昭和』という時代だった。(一億総中流、皆がサラリーマンで、ニュータウンに家を買う、みたいな…)
皆と同じ様に振る舞えない人、個別の配慮が必要な人は、常に『厄介者』として扱われる。過去の社会的弱者(広い意味であらゆるマイノリティーが含まれる)は、その不平等を泣きながら受け入れてきた。この構図は多分この先も変わらない。だから私も今の社会の不平等を泣きながら受け入れようと思う。
社会になど、何も期待していない…