Apple Watchがここまでデキる奴だとは思わなかった。ティム・クックCEOが何を作りたかったのかが、だんだん分かってきたぞ!

ワークアウトの機能ではかなり精密な消費カロリーが分かる。例えば今までは家でエアロバイクを漕いでいてもそれが運動になっているのかよく分からなかった。でもApple Watchで計測すれば40分くらいでちゃんとお茶碗一杯分のカロリーが消費されている事が分かる。

エアロバイクは運動としてとても効率が良い。Apple Watchを使ってみて、川辺をただ散歩(ウォーキング)しただけではこれの半分も消費できない事が分かった。カロリー消費を重要視するなら運動方法をもっと工夫する必要がありそうだ。

Apple Watchは活動量計としてとても優秀で、私の頑張りがどれほどのモノなのかをちゃんと数値化してくれる。この『数値化』という所が何より重要だ。これがあれば私の頑張りが無駄な努力ではない事を、他人に客観的に証明出来るぞ!

Apple Watchで他に気になったのは睡眠の質を計測する機能。これは睡眠時の体の動きから眠りの深さを計測できる機能だ。 私も実際に計測してグラフ化された物を見てみたのだが、私の睡眠は滅茶苦茶だった。グラフは不規則に動き回り、8時間寝た筈なのに、実際には5時間分しか寝れていなかった。

Apple Watchでまず最初に気になったのはヘルスケア機能。特に心拍数を測る機能は私の体について興味深いデータを示してくれた。私の心拍数を計測すると、安静時52BPM程しかない事が分かる。これは『徐脈』と呼ばれる不整脈の一種で、その原因の一つに『交感神経系を抑制する薬』があるのだそうだ。

ちくしょう!! まただよ。メンタルの薬っていうのは…どこまでも祟るね…

Apple WatchとAirPodsを手に入れた。これにiPhoneをプラスする事で私に訪れた未来感が物凄い。テクノロジーの最先端を駆使している筈なのに『実はテクノロジーの呪縛から解放されている』という、なんとも不思議な現象を体験している… もう一日中iPhoneを眺めている様な生活とはおさらばだ。

面接授業に行く様になって『私も社会の一員なんだ』という気持ちが芽生えた。 大勢でひとつの授業を聞いたり、通勤時間帯に電車やバスで街中を移動するなど、私の人生では今まであまりなかった事なんだ。主治医が私に対して事あるごとに『社会参加』の重要性を説いていたのはこういう事だったのか…

前に受けた『学外授業』なるモノが、今の私にとってとても意味のある事だった。それはリアルブラタモリの様な授業で、先生の解説を聞きながら30人ぐらいの学生が街中を列をなして歩く。これがまるで遠足の様でとても楽しかったのと同時に、その長時間の集団行動が私の意識にある変化をもたらした。

私は中一で不登校になり、それからずっと社会参加や集団行動とは無縁の生活を送ってきた。なので今回『遠足の様に皆で列を成して歩く』など、私にとっては実に20年ぶりの事だった。この体験が私の意識を変えた。私の中で永らくオフになっていた『社会性のスイッチ』が、遂にオンに切り替わったのだ!

社会性のスイッチがオンになった事で、私も社会の一員なんだと実感できる様になり、もう街を歩いていても疎外感を感じる事もなくなった。 先日、この意識の変化を主治医に伝えた所『凄い…』と感心された。そして『楽になったんだ…』と聞かれたので『はい。だいぶ楽になりました。』と答えておいた。

これは現実認識に破綻をきたした統合失調症患者が、その後長い年月を経てめでたく正しい現実認識を取り戻したエピソード、と言っても差し障りないと思う。そう考えると、もしかしたらこれは凄い事なのかもしれない。

薬が減ったからなのか、病気が治ってきているからなのか、その両方なのかは分からないけれど、良い方向に向かっている事だけは確かだ。ずっと治らないモノだと諦めていた病気が、まさかこんな風に展開していくとは…… こんな事、夢にも思っていなかったよ。

どういう訳か昨年あたりから夢を全く見なくなった。それまでは、毎朝夢占いをして一喜一憂するのが日課で、夢を見ない日などなかったのだが… 何が変わったのだろうか… これも減薬効果なのか。ウィキペディアの悪夢の項目が少しだけ参考になる。

悪夢 – Wikipedia

とても残念な事だけど、ベンゾジアゼピン系の断薬を、医師との良好な関係を維持したまま完遂するという事は、現実的にとても難しいのかもしれない。私は病気の性質上、今後も医師との関係は切れないし、今後も最低限の維持量は服薬を継続し続けるしかない。

私は今も二種類の薬の服薬を継続している。うち片方のゾルピデム(マイスリーのジェネリック)は非ベンゾと言いながら、その効果も副作用も危険性までもがベンゾと同等。もう片方のリスペリドン(リスパダールのジェネリック)はベンゾではないが、ベンゾより危険で、断薬も非常に困難。

今後、医師に完全な断薬の支援をしてもらう為に私がどう振る舞うかだが、こうなったらもう私の病気が治っている事を証明するしか道はないのだと思う。私が実際に日常生活と社会活動を営めていて、もう私への投薬に合理性はないのだと医師が客観的に判断できる材料さえあれば、医師は味方になる筈だ。

だから私は頑張るんだ。遅れを取り戻し、ハンデを克服する… 社会に出て、人並みの活動ができる様になる為に、今は大学の勉強を頑張るぞ!!

薬が減って以降、毎日が発見の連続だ。今までどんなに頑張っても出来なかった事が、徐々に出来る様になっている自分に気付かされる。人生の半分以上を病人として過ごしてきた訳だから、私は様々なレベルにおいて人並みの経験が出来ていなかった。これからはその失われた時間を取り戻せる様に頑張ろう。

一昨年、私は昼夜逆転生活を克服した。それでも昨年は1日12時間寝てる様な生活が続いた。それが今年、10時間睡眠で大丈夫な様になった。私はそれでとても満足していたのだが、なんと最近になって7時間睡眠でも大丈夫そうだということが分かってきた。凄い。これなら普通の人と同じ生活ができる…

家の外を眺めると、私が子供の頃に見ていた世界と同じ世界が広がっていて、とても懐かしくなる。夏の雨、カエルの鳴き声、何処かの家の屋根にとまるカラス… 病気の魔力から解放されたからなのか、永らく分からなくなっていた感覚が、昨年から徐々に戻ってきている。

昨晩風呂上がりに体重を測ったら88.5kgだった。この一年で10.5kg減った。生活スタイルに特別な変化は起きていないので、これは減薬効果なのだろうと思う。やはり薬の副作用で太っていたんだ…

メンタルは常にバランスをとっている。意識と無意識もそう。脳内で自分の意識が優位になりすぎると色々な不具合が出てしまう。無意識で過ごす割合を増やせれば、不調は改善する。

体の不調を意識しすぎる=自律神経失調症
色々な行動を気にしすぎる=神経症
考えや感情を認識しすぎる=心を病む

『日々の生活を丁寧に淡々とやる』という事が大切だ。人生について考えている様な時間を減らし、もっと炊事・洗濯・掃除といった日常をしっかり生きるべきなのだ。人は何か作業をしたり他の人と話したりしている時はほぼ無意識で動いている。その無意識の状態でいる割合を増やす事が何より重要なんだ。

あまり忙しすぎるのも問題だが、不調が続くからといってやるべき事を放棄し、その不調との闘いが全てになってしまうのも良くない。それでは事態がますます悪化する。

そんな時はひとつ自分の意識の手綱を手放してしまうのが良い。馬をコントロールしようとむやみに手綱を引っ張り続けるのではなく、馬にある程度任せてしまえば良い。馬は勝手に走ってくれる。無意識の割合を増やすとか日常の生活をしっかりやるというのは、こういった意味で有効な対処法たりうる。

今日は通院日だった。私が服薬している睡眠導入剤について、主治医に『薬がないと寝る事ができないのですが、このまま飲み続けて大丈夫なんですか?』と聞いてみた。そしたら主治医から『大丈夫です。大丈夫な薬の中から出してます!』との回答をもらった。さて、どうしたものか……

私が飲んでいるゾルピデムは、形式的には統合失調症に不適切な薬という事になっている。だがゾルピデム(マイスリー)は悪い薬ではなく、不眠の患者には事実上の第一選択肢になっている。問題なのは私が10年近くも服薬を継続している事にある。通常3ヶ月を超える連用は推奨されない薬だからだ……

これは主治医の答えと矛盾する。製薬会社が長期の服用を推奨しないのには理由があるはずだ。一方、主治医が大丈夫だと言うのにも理由があるのだと思う。これはおそらく両者の役割の違いによって起こっている。製薬会社は薬理学的な性質を重要視し、医師は患者の症状緩和とQOLの向上を重視する…

つまり双方共に理にかなった事を言っている訳で、そうなるとその良し悪しは素人の私には判断がつかない。こう考えるとつくづく厄介な薬だ… 今後どうするべきか、ゆっくり考えようと思う。

今更だけどWikipediaには私の薬についてなかなか有用な事が記述してある。特に『離脱症状』と『有効性』の欄は重要だ。他所で妙な医療情報を見て、自身の考えに迷いが生じた時などは、焦らずここに帰ってくれば良いのだ。

抗精神病薬 – Wikipedia