多趣味人間の今
私という人間はとても欲張りな人間で、これまで色々な物事に興味・関心を持ち続けてきた。気まぐれで何かを始め、あきたらそれをやめ、他のものをやる。そんなサイクルを繰り返して来て今に至る。
私が関心を示した物事を具体的に挙げてみると楽器・コンピュータ・学問・オタク文化・スポーツ&アウトドアという実に5つの分野にも広がっているという事が分かる。これは欲張りすぎだろう。誰が考えたってひとりの人間がこんなにたくさんの物事を一人でこなすなど不可能な事だと分かる。もちろん私もそれが分からない訳ではなかったのだが、何分にも『好きなモノは好きなんだ!』という意識の方が強く働き、別段それを苦にするような事もなかった。
ところが歳が35歳を超え、心と体がおっさんの領域に入ってくると、これまでの様にあれもこれも頑張ろうという気になれなくなってきてしまった。最近はやたらと過去を振り返る事が増えたし、働き盛りの世代になったという事もあり、友人は皆仕事に精を出しているという状況。独身貴族の如く趣味に没頭しているような暮らしをしていてはいけない。段々とだけど、今はそう考えるようになってきたのだ。
だから私は自分の趣味を一度精算してみる事にした。趣味の世界に没頭するのも楽しいが、だからといってそれをだらだらと続けてもこの先それがモノになるような事もないだろう。だから本当に必要なものだけを残して、あとはすべて押し入れにでも仕舞っておこうと思うのだ。そうすれば、私はこれまでの様な若者気分での暮らしから一転し、新たにおっさんとしての人生を踏み出せる、そんな気がしているのだ。
趣味の精算 – 楽器編
十代の頃、私はミュージシャンになりたかったのだ。X JAPANでロックに目覚めてから、洋楽を中心にCDを買いまくり、毎日MTVに張り付く様な、そんな暮らしを送っていた。子供の頃はピアノを習っていたという事もあり、楽器に関しては素人よりは出来る方だ。だからロックに目覚めてからはギターを頑張って練習した。一時は電子ドラムに手を出した事もあった。意外な事に、その時私にはギターよりもドラムの方の才能がある事が発覚した。が、騒音が近所迷惑だという事になり、事実上、楽器類は取り上げられてしまった格好となった。楽器は今もある事にはあるが、それはもはや部屋のオブジェと化しているような有様で、音を鳴らすことはほとんど無い。
もういいだろう。この歳で、もはやミュージシャンになろうとも思わない。趣味としての楽器はここで一度精算しようと思う。
趣味の精算 – コンピュータ編
私には『ミュージシャンになる』という夢とは別に『ハッカーになる』という夢もあった。だから若い頃はWindowsを目の敵にし、自作PCを組んで、そこでLINUX(Ubuntu・Debian・Fedoraなどがお気に入り)を走らせたりして遊んだりしていた。
人生の転機となったのはPowerMac G5との出会い、つまりアップルとの出会いだった。祖父にねだってG5というべらぼうに高いマシンを手に入れた私は、インターネットの世界を縦横無尽に駆け巡り、部屋に居ながらにして世界の事を知る、そんな暮らしに革新性を見出し満足していた。
だがそんな私にもとうとう『コンピュータ疲れ』というものがやって来た。この十数年コンピュータを弄ってきてみて分かったのは、コンピュータの技術はまだまだ発展途上で、今後も永久に発展途上のままだ、という事。つまりマシンの性能は際限なく上昇していくし、新たなサービスも次から次へと出てくるという、終わりのない『永久に完成しない』バベルの塔みたいなもの。それがコンピュータなのだという、そんな現実に対して『疲れ』が出てしまったという訳なのだ。
人の道具たり得る完成されたマシンが欲しかった。が、そんなものはこれまでも無かったし、今後も登場する見込みはないだろう。だから、もういいのかもしれない。今使っているiMacはそっと箱に戻し、noteはiPadで書こう。それでいいじゃないか…
趣味の精算 – 学問編
私は人生を早い段階でドロップアウトしてしまったので、学歴に対して強いコンプレックスを持っていた。だから大卒資格を取る事が悲願だったし、その為に放送大学に入学し10年以上も粘った。で、結局、放送大学は無事に卒業する事が叶って、そのあとは大学院まで進むというミラクルまで起こった。私はこれでもう十分満足だ。
それによくよく考えてみれば世間様から『お前はいつまで勉強してるつもりだ?働け!!』とお叱りを受けてもおかしくない年齢にもなってしまった事だし、今まで勉強した事を今後は仕事と暮らしに活かしていく、今はもうそんなフェーズに来ているのかもしれないと、そう思っている。
趣味の精算 – おたく文化編
私は、漫画やアニメは人並みにしか観なかった。それでも好きな作品がいくつかあって、それを追いかけたりしていた。俗に言うカジュアルオタクだったけど、私はそれで満足していた。が、Vtuberブームの到来がすべてを変えた。輝夜月の魅力にノックアウトされた私は、それがきっかけとなり様々なVtuberを追っかけるような生活を送る事となった。Vtuberブームは、カジュアルオタクだった私をガチオタクへと覚醒させた。その頃から、様々なイラストレーターの作品やコスプレイヤーの作品などにも興味を持つ様になって、ツイッターを漁っては『いいね!(今はラブというのか?)』を押すのが日課となっていった。
だがある日気付いてしまったのだ。Vtuberの数が星の数ほどに増え、みんなが毎日長尺の配信を繰り返している。現状では、あまりに動画がありすぎて、これから死ぬまでVtuberを観るだけの生活を送ったとしても、もはやすべてを追いかける事は物理的(時間的)に出来ないのだという事を悟った。
そしたら、なんだが急に寂しくなって来てしまった。虚しいのだ。だから、本当の推しの数人のVtuberだけを残して、他のVtuberには無闇に手を出さない様にしよう、と今は考えている。ツイッターでいいね!を押すのも控えようと思う。画像を集めるのもやめよう。
趣味の精算 – スポーツ&アウトドア編
私はIngressやポケモンGOでのウォーキングを日課としているし、遠出をしたい時はマウンテンバイクで出かける。今までそうやって体力づくりに努めて来た。しかし35になってからガクッと体力が落ちた。運動に励む意義としては、体に負荷をかけたらそこから回復する時に前以上の状態まで『超回復する』という仕組みがあるのが前提になっている。でもこの歳になってからはなかなか超回復しないのだ。これは実感としては『身体が傷んでいる』という感覚に近く、超回復しないのであれば『なるべく傷まないように大事に使おう』という意識の方が働くので、段々とアウトドアに対して消極的になっていってしまった。
これは如何ともし難い。諦めるしかないだろうか…
ちなみに、私はサッカーが好きなのだが、私には『私が応援するとチームが負ける』という嫌なジンクスがあって、なかなか素直に応援できない。昨年は首位争いをしていたFC東京が優勝出来ずに終わった。私が味の素スタジアムに応援に行ったその試合から急に、チームが一回も勝てなくなってしまったのだ。『あんなに調子の良かったチームが何で…』『俺の所為だ』と思って私はとても落ち込んだ。
もしかしたら、私はスポーツをするのも観るのも、どちらも向いていないのかもしれない。それを思うと、寂しくて仕方がない。
愚痴ばかり言うようになったら…
もうやめよう。みんなやめてしまおう。そしてこれらの趣味を一旦精算して、もっと現実に目を向けてみよう。同年代の友達のようにもっと働き者になろう。それが何よりだと思う。
まあ、こんな感じで人生を諦め、愚痴ばかり垂れ流すようになったら、その時はじめて一人前のおっさんとなるのだと思う。そして私は今、その領域に足を踏み込んでいる。この頁に書いてきた愚痴の数々が、その何よりの証拠だ。
この頁を読んでくれた人には謝りたい。愚痴を聞かされて、とんだ災難だったと思う。すみませんでした。